面接当日に面接に落ちた。
まともに面接受けたのは人生で2度目のようなもので、圧迫面接がどのようなものか分からないが、履歴書の空白期間を徹底的に掘り下げるように具体的に答えるまで聞かれた。そして、その場で履歴書を返された。こちらも少し食い下がってみたが、そこまでして働きたいような職場や面接担当者である上司の雰囲気ではなかったので、程ほどにしといた。履歴書の空白期間も、インターネットを持っていなかった時期の方を聞かれたので、少々予想していなかったので、答えに困ったし、何とか言葉を探して答えたが、とにかくなんだろう、誘導尋問的にあなたは探している人材じゃない、という結論になった。後は同情のようなものをされてウザかった。そこに漬け込めよ、という前振りなのか何なのか、変に同情された。遺恨を残さない為の手口だと思うが、事実はどうかは分からない。
とにかく、言い返す余地はたくさんあった。それをした方が良かったのかどうかは、知らない。もう少し、自分を強引に印象付けることをした方が良かったのか、逆効果だったのかは、試してみなかったので分かりようもない。
とにかく、面接に落ちると全人生を否定された気分がある。これを何十社も繰り返す自信が持てない。しかし、その道しか残されていない。この何度も間違いなく落ちるのに受け続ける徒労のおかげで、相当以上にストレスを溜め込んだ人格にこれからは今以上に成りそうで怖い。
しかし、何だろうと思う? ただ、望みのない面接遊びをしているようなものではないか、と今日は落ち込んで大きな川を見ていた。比喩ではなく、大きな川の傍の堤防兼散策道や座れるようにや降りれるように大きく階段状になっている場所に腰掛けて、少し時間を過ごした。特にショックではなく、事前の書類選考がない時点でこのような面接になることは、負け惜しみではなく充分予想していた。事前の書類選考で落とすような向こう側の疑問点で、今日の面接に落ちた理由だからだ。とにかく応募者全員と会って見る、というような経営者タイプのエネルギッシュな中年男性だかで、私にはそれは計画性の無さや将来性の無さにしか判断できなかった。この当人に、何らかの媚を売らなければ、気に入られなければ就職口にありつけないのか、としか思えなかった。
とにかく、何の成果も延々得られそうも無い面接遊びのようなことは、見切りをつけなければ、と今日は深く思わされた。逆に考えれば、このような面接遊びで、面接スキルが多少底上げ的にアップしての、希望がそこにあるのかもしれないが、そこにたどり着くにはこの面接遊びを死ぬほど大量に続けなければならない。
見切りを早めにつけるべきか、もっと面接で遊ぶべきなのか、その判断が私には出来ない。そして、たった2度の面接に落ちたくらいで、こうもブログを書いている自分が、この上なく無能な人間なんだと、激しく自覚させられる。
可能性としては、もっと世界を見る為に、面接をもう何度も無謀な、分不相応ぎみな求人募集に応募してみようとは思っている。職場見学気分で面接の申し込みをしてみようと思っている。気持ちの落としどころとして、この結論がいちばん納得がいくように思える。実践版はたらくひとたち、そのような参加型人生番組。
ちなみに、郵送した履歴書の方の連絡はまだ全く来ない。それにしても、今日は台風の影響か、家を工事しているところばかりだったし、祭りも各地域一斉に開催されていて、爆竹を鳴らす子供ばかりがそこらじゅうに集まっていて、精神力を大きく消耗した。疲れてばかりいるし、人生に何の見返りも無い。今日もただただ、自信を大きく奪われる為に出掛けてきたようなものだったし。