何も持っていない。
いろいろ嫌なことばかりある。その内、大きなトラブルに発展しそうな気もする。こういった無駄なことに私の人生のリソースを奪われるより、自分の人生を生きようと就職活動を行ってはいるけど、なかなか先に進まない。待つばかりの毎日だし、家でその前準備や海外ドラマや新作放送アニメを観て、人生への意気込みの整頓やら何らかの知識を蓄えたいとの考えから、今の無職人生を充分に生きているはずなのだが、何か私の方法論が間違っているのだろうか? と否応なく思わされる。
家に居ても何も集中できないし、家に居るってだけで、馬鹿なトラブルにも巻き込まれる。私が何か、逮捕されるようなことになるか、裁判になるようなことになれば、明らかにブログへも影響してくると思われる。そこまでは発展しないだろうが、とにかく、いろいろと住んでいるというだけで疲れる。
職歴なし30代半ばが近い、それでさえも働き口が見つかったとして、人生全体がイメージしにくい。何を目的に人生を生きているのか? 自分が全く分からないし、見えてこない。何か、はっきりと、今までの無職人生がプラスに働いている部分が、私の人生に私が見出せたら、こんなに怒りを持ったりすることもないし、人生全体が不安になったりもなく、心が乱されずに映像作品の物語を大量に観進められる。
とにかく、私にも人生や性格的にその大部分としての良い所がない訳でもないだろう。しかし、それは言語化しにくい形であるのも、間違いないだろう。そう仮定すると、何か人生としての大きな拠り所や立ち位置になる。しかし、私の人生とは何だろうか? そして、人生の意味を問おうとしているからこそ、自分の人生に心理的なマイナス作用が生じるのも、理解しているつもりではいる。
人生の意味なんか問うものじゃないのだろう。人生は問わずに、少しずつ経年的に否応なく規定され続けていく運動なのかもしれない。しかし、私のように何も持っていない人も、普段は見えないだけで、そういった人たちが少数派ともいえず、過半数は割合的にはそういった人たちなのだろう、とも想像力の点から論理的に補完できもする。
見えない人は見えず、目立つ人は自己主張の手段に長けている。私が良くも悪くも後者のように分類されてしまう場面もあろうが、そんなことはないだろう。誰もが、物語を持っている。誰もが誰かにその物語を聞かせ、共有する。私にはその場がここの「hikikomori.in」とブラウザのアドレスバーに直にタイピングした場所にしか存在しない。誰もがどこかに、何か自分が主役になれる場所を持っている。
しかし、私の場合それだけではいかないだろう。人生の意味を問う作業に戻るとすると、なんだろう、とにかく、私は何も交換して生きてこなかった。自分の持っているものを交換やそれに伴うコミュニケーションを図ることで、自分が形成されていく。私は何者でもないし、これから先も何者にも成れそうもない。そして、この先、自分の人生を生きられるのかどうかでさえの自信や見通しが微塵もない。