同性愛者であるという理由だけで、簡単に解雇された時代。
ググったら、「1970年代のアメリカで、同性愛者であることを公表して公職に就いたアメリカ初の政治家ハーヴェイ・ミルクの生き様を描く伝記ドラマ。」との簡潔な映画解説があった、映画『ミルク』を観た。別に映画の感想を書こうという目的でなく、テーマを決めずに書き流していく。1970年代後半のアメリカでは、夜間巡回中のパトロール警官が、街を歩いている同性愛者を憂さ晴らしに殴ったりしても、何の罪にもならなかった時代だった。これは詰まらないイギリスのドラマだが、『LIFE ON MARS』は現代から1973年にタイムスリップしてしまう物語で、主人公の職業は現代でも1973年でも刑事捜査官で、とにかく、主人公が勤める警察署の労働環境が今の時代では考えられない乱暴さ。常時銜えタバコで、女性警官にはセクハラ発言しまくりだし、事件の捜査も野蛮な手法で成される。
日本では警察権力による同性愛者への圧力はなかっただろうと思われる。政治家が国民に選出されるにあたり、アメリカでは、家族の素晴らしさとかキリスト教の教えに基く選挙キャンペーンが成されることが常で、同性愛は子孫を残せないから家庭も作れない、キリスト教の基本理念に背く背徳行為で、時代的に犯罪的異常性欲者のカテゴリ内へと一つに括られていた。それに対して日本は仏教の国で、昔から、男色に耽り女性を絶つことで、色即是空とやっていた。女性と精神的にも肉体的にも妄想的にも関係を持たないことが教義上での最重要な課題とされ、同性愛による性欲の解消はは友愛の範疇にカウントされていた。一緒に汗を流して何かを成すのも、精液を垂れ流すのも、大した違いが無かったのだろう。
そういえば、映画『メルシィ!人生』では、コンドーム会社の地味な社員が「地味だから」という理由で会社内での地位が低く、同僚にはバカにされ、解雇されそうになっている。「解雇されそうだし、最近はそんな不幸続きで人生いいことがない」と不意に知り合った近所の老人に愚痴を洩らしたところ、「この写真を上司に匿名でメールで送ればいい」とコラージュして主人公の顔に挿げ替えたハードゲイの画像を見せられる。嫌々ながらも、もう他にそれしか方法が思い付かないとなり、そうする。その企みは成功する。同性愛差別会社とのイメージが付くと、コンドームはゲイでも使うんだし不買運動が起こりかねないから、簡単には解雇できない、との企みであった。「どこからこんな素晴らしいアイディアを思い付いたんですか?」と企みが上手く行った報告も兼ねて老人を訪ね、質問すると「これと同じ理由で解雇された過去があるからだ」との答えが返ってくる。フランスでも、70年代はアメリカと同じく、同性愛者だからという理由で、解雇処分にできるような法整備の国家だったようだ。同性愛者に対する憎悪犯罪の話もたまに聞くので、世界中、日本以外は同性愛者に対して厳しいものがあるようだ。
同性愛の何が忌み嫌われるかというと、子孫が残せないという方向性で、リスクが少ないセックスが可能だ、と言うことだろう。普通に生活する異性愛者より、妊娠の心配が無いのでセックスの経験人数が多くなりがちで、ゲイは快楽主義者だ、自分もたくさんの人数とセックス経験を重ねたい、ということだろう。そして連想されるのが、ゲイ=性病患者、で二次感染しそうな病気持ちの近くに居るのは嫌だ、という心理作用が働く。
1970年代全般が社会的に野蛮な時代だったのは間違いない。2009年は過去に無い程に、洗練され繊細な時代であろう。この時間感覚で行けば、30年から40年後には、2009年でさえも野蛮な時代だったと評価されるのだろうか? とにかく、フォームに書き込んでワンクリック程度で求職者登録及び職が見つかる程度には、ネットワーク的な労力的に楽な時代に成って欲しい。