童貞の性癖。
性癖というのは、強烈な個人的な人生経験から来るものだろう。性について興味が出てくる時期に、強烈な性的イメージを見たり聞いたり、偶然遭遇したとかの。盗撮系や痴漢系や露出癖系の対象へ不意をついた強制的な性癖の持ち主は、社会的に厄介な存在だと思う。それはともかく、露出狂も家族円満や人と仲良く関わりあえるコミュニケーション能力を第三者に見せ付けることを無意識的に快楽としている実生活が充実しているリア充と呼ばれるキャラクターも、根は同じ所にある。社会生活的嗜好も上記のような性癖も、同根にある。
その辺の性癖として、私自身は特に何の思い出も持っていない。というのも、アダルト動画やポルノ動画や成年コミックや同人誌を大量に観る、なおかつ、実体験や社会生活で異性や同性に合って何らかの欲情する機会が全く無いから、ある種、生来備わっている性的妄想が純粋に脳内で再構築され平面化し、取り立てて何が私を性的に興奮させるかの特筆すべき事柄を持ち合わせていない。
動画というものは、興奮し難い要素が多いジャンルだろう。映像の色合いで萎えたり、女性がカメラ目線でフェラチオしている場面で、瞳の虹彩が撮影用照明で光っているのを観ると、そこで私の場合は勃起しなくなる。あるアダルトビデオ作品は意図的に使っているようにしか思えなく、私が性的に最高にかわいい女の子だと思っても、この映像手法では私的に全く勃起しない。
アダルトビデオでも素人ものでも、テレビ番組のテレビタレントをテレビで視聴するのと同じ効果があると思っている。目が大きい女の子や明るい女の子が、アダルト動画でもテレビでも映像に映える。後は、愛嬌のある愛くるしい顔立ちの女の子も映像的に魅力的に感じる効果が大きい。
後は演技面で、ドラマと同じで役が乗り移っているかのような神憑り的な演技をする女の子が魅力的に思える。これはいろいろな側面があるだろう。援助交際ものの動画で、明るいというより常時過剰にはしゃぐ女の子のセックス時も服を脱ぐ前のはしゃぎ様と変わらない、無駄に大きい過剰な喘ぎ声で、男側の集中力が保てないようで、男側は気持ちのいいセックスでは無さそうな雰囲気のもの、などを観た。
素人もののモザイク有りや無修正動画で、私服がいいセンスしているなと思うものは、私的に性的に興奮するし、その服は全部脱がないでくれとか、それを脱がずに乳首とか見えなくていいんでそれを着たままで、とか思う。
東洋問わず、映画で映画女優のその映画でしか観られないヌードが話題に上りやすい。顔は美人だと思っても、脱ぐと残念な裸をしていると思うことが、映画でもアダルト動画でも、大半はそうだ。反対に、顔は特に印象がない曖昧な顔立ちをしていても、脱いだら身体が美人だというケースが多い。こういうキャラクターは、自分の美しさを実生活ではアピールしにくいだろうかわいそうだな、と余計な心配をしてしまう。
顔が美人だろうが、そうでもなかろうが、結局目を瞑ってセックスをする訳なのだから、誰もが同じに観える。なので、結局は内面という結論になる。会話が弾む相手が、セックスの相性がいい、ということなのだろう。コミュニケーション能力が高ければ、どんな会話相手にも合わせられるし、話題も豊富な人もいるだろう。この場合は、格差が発生することになる。
後は、ハード目のSM動画や、鬼畜成年コミックをオカズにオナニーすることもある。これをメインに据えると、性的に勃起する機能が奪われそうな危機感があるので、特に好みはしない。しかし、こういう女性を完全にバカにして扱っているものも、たまには観る。といっても、普通に特別な動きもしないセックスしているだけだけど、口に出さずとも「このビッチが」や「この、金で抱かれてかつ性的に興奮している娼婦が」と内心女性をバカにしているようなセックスもあるのだから、少なくともエンターテイメントとしては、その違いが私には分からない。日本では成年コミックでしか観たことがないが、アメリカの素人ポルノで男優と撮影者は別とかで「お父さんお母さんエッチなことをしている私を見て!」と言わせるような程度のビデオでも、精神的に相当鬼畜な行為だと思う。
童貞で何の経験もないので、女性に惹かれるにしろ、性的に魅力を感じる異性愛と人間的に魅力を感じる異性愛の区別が、人生経験がないから分からないが、その感覚だけは分かる。
女性単体のヌードイメージビデオでは、好みのオカズだったみひろは、AV女優に転向してから興味が無くなった。男と絡んでいる姿には美しさを感じない。初期はモザイクの裏で挿入無しの擬似セックスをしている作品が何本かあったと思ったが、そのせいでもない。本物の何人もの精液を顔射されるぶっかけビデオでも、擬似ではない本当にセックスしている動画でも、特に可愛いとは思えない。年齢的なものもあるかもしれない。若い女の子のイメージビデオは好きでも、20台後半の若々しさだけをまだ売りにしているような女性の魅力はもう半減、といったところかもしれない。
オナニーしていてイメージ補強のオカズとして、単体ヌードや異性愛者同士の女性が同性愛セックスをする動画より、男女のセックス動画でコンドーム無しが一番簡単に射精出来る。自分好みの女性だと、競争心が煽られるのを感じる。擬似的にだが、生存本能や子孫を残す本能が働き、俺こそがいう射精本能が掻き立てられ、オナニーとして射精しやすい。
オナニー時の射精は、いくら性器を擦っても射精しないこともあれば、動画の女の子への思い入れが強く、すぐに射精しそうになるオナニーの、その二種類がある。
洋物ポルノでは抜けないという向きが存在しているのは知っているが、日本人の男がクンニしやすいように、陰毛の股下に当たる部分だけを剃っている日本人女性がよくいるようだが、あんな特定の男の存在を感じさせるようなイメージが付き纏うようなかつ、剃り跡が汚い陰毛処理でなく、陰毛がビキニワックスのプロの手で綺麗に処理された、アメリカポルノ女優の方が、性的に洗練されて見える。洗練されていることは、私にとって性的にポイントが高い。洋物ポルノのスポーツのようなセックスも好きだし。陰毛処理が洗練されているやスポーツのようなセックス以外に、洋物ポルノはいろいろな面がある。18歳になったばかりの女の子専門のビデオや18、19歳の女性しか使わないレーベルなどが、洋物ポルノの醍醐味だ。
豊胸手術も包茎手術もしない方がいい。観ているが側から言えば、それらの手術痕によって全く勃起する要素に欠けることになる。ただ、マドンナの豊胸施術には萌えた経験がある。デビュー前に撮られたヌード写真は自然な胸の形に自然な乳首や乳輪だったが、写真集『SEX』周辺ではマドンナが胸を露出する映画やライブツアー映像が多かった。綺麗な半円の乳房の輪郭に小さすぎる乳輪。こういった完璧な豊胸手術はなかなか見れない。だが、日本人にも稀に居る。高額な費用が掛かっているかどうかの違いなのかもしれない。
自分の性器の形と似ている男優が出演するビデオの方が、オナニーのネタとして使いやすい。割礼をしていない外国人にも、私と似た形で皮が余っていてオナニーがしやすいような男性器の持ち主は多い。しかし、ビデオに出演する以上、やはり男性器が他人より大きめの部類が映像に映える理由で起用されるようだし、素人のハメ撮り系でも、性欲の強さより男性器を誇示したい目的が多少あるのか、大きい男性器の持ち主は性欲も人並み以上なのか、人並み以上の持ち主の部類が多い。
アダルトビデオの単調さに飽きたら、物語を求めて成年コミックをオナニー時に使う時期が、交互に訪れる。成年コミックは見知った者同士のセックスが描かれ、物語が多分に入り込む余地があって、オナニー的感情移入がすんなり行く。
ソフトオンデマンドのアダルトビデオはモザイクがウザいし、企画モノはヤラセばかりだし、当たり外れの幅が大きい。だが、時間を止めるシリーズやセックス有りの手コキクリニックの胸を絶対に露出しない感じや事務的なセックスが好きだ。時間を止めるシリーズはリアルドールとセックスしているような映像になっていて、それがなぜか興奮する。ほとんどオナニーなんだが、リアルドールとのセックスを撮っている外国人作成の商業ポルノのサンプル動画を観たこともあるし、なにか必要以上に興奮した。
そのような人体的に精巧なリアルドールでなくとも、性欲の対象の実践的なイメージの実体化としてでなく、秘めた精神的な感情の投影先として、男性も女性も人形やぬいぐるみやフィギュアを持つのも同じような感覚だと考えている。
結論を書くならば、普通に自分の生活を豊かにしてくれそうな相手が期待値としても、実質としても、そいうった相手の方が性的に満たされるような気がする。普通に生活上で誰もが自然にしている人物評価が、そのまま性的な魅力にも転用できると思っている。