ひきこもり
日光を浴びていないせいか、肌が痒くてしょうがない。鼻から額にかけての領域だけだが。目尻から目頭にかけての上部の肌も痒くて堪らないし、眉毛も痒くてどうしようもない。ストレスが内面で処理できない程に過大なものがあるせいだ。煙草を吸うせいで、栄養が失われているせいかもしれない。煙草を吸っているせいで、余計に食事の栄養バランスだとか、喫煙によって壊れやすい摂取ビタミンとかが余計に必要なのかもしれない。
しかし、単純に痒くなったら寝ると効果があった。眠気を待って寝ていたが、痒み=眠気と判断し従ったら、痒みが治まった。とにかく、アレルギー体質の自己管理の手間が掛かってしょうがない人生で、人生痒くて堪らないし、鼻腔が腫れて横にならなければ治まらないし、脳も腫れているのか、横になって片側に寄った血液の流れを整えなければならない。偏頭痛があれば、その側を上にしたりで横になる。そうすると、偏頭痛の逆の脳にも血流が行き渡る感覚がしっかり分かる。
とにかく、人生に失望した。この30歳を余裕で過ぎた年齢で、子供のようにアレルギーでボロボロの顔の皮膚の状態で、なんだか情けなく思う。自分のアレルギー体質を把握し、自己管理出来ているものと思っていた。長年この微妙な嫌がらせが常時続くアレルギー体質を、把握し感覚で深く理解しているものと思い込んできた。とにかく、肉体の老化だろう。肉体的に無理が利かないような人生に突入してしまったようだ。
ひきこもることで力を得てきた。ホームレス状態で何年か過ごしたこともある。後者からは何も得られなかった。得られたのは、自分の徹底的な惨めさを圧倒的に思い知らされた。私みたいな人間はこの先、生きられないとしか思えない。情報収集に莫大な時間を投入し、それを元手に何らかの仮説を立て、それから行動してきた。この手が、私が持て得る最善の手法であると思った。しかし、それは否定され続けるばかりで、受け入れられることがない。このような方向での、自分の人生に対する深い失望に、心が全て捕らわれてしまっている。私の人生はクソだったし、私の人生はクソだ。
システム設計・開発(オープン・WEB系)というのだろうか? 私には何の知識もない。未経験者歓迎のそういった職業の採用面接を試しに受けてみようと計画している。筆記試験や作文と採用試験内容を書いてあるところもあった。パソコンばかり触っているので、手書きで文字を、学校を卒業した以降や特にパソコンを持ってからは全く書いていない。履歴書を手書きで作成するのも、家の電話は機能していないのでプリペード携帯を買い、買ったはいいが、箱も開けていない。昨日数ヶ月経ってやっと初めて開けて充電だけしてみた。自分の精神を防御する為の先延ばし行為とは思いたくない。
それは正しく先延ばし依存の何者でもないだろうし、別の側面もある。社会が高度化し、着いて行けない人たちも社会に一定数存在するだろう。私がその内の一人というだけのことだ。なぜこうも頭が悪く、社会に馴染めないのだろう。しかし、そんな社会の高度な部分に触れずに、未だに田舎のお祖母ちゃんの家的な生活を営んでいる者しか周りにいない。その「田舎のお祖母ちゃんの家的な生活」という比喩は、アニメ映画とかでよくある設定の、都会の若者や思春期の少年や少女が一時的に田舎に単身預けられる物語の序章のことを言っている。実際の私の祖父母とかの話ではない。祖父母に良くして貰った思い出など、一つもない。
とにかく、過保護な家庭のひきこもりは精神的に楽だろうなと思う。それは全くの勘違いで、無いものねだりなだけのただの僻みだろう。家族としか話していない、とする社会的ひきこもりの定義自体が、私を瞬時に最大限怒らせる。家族とだけは、一番話したくない相手だ。何か話を聞いてくれる相手、採用面接の面接官とかに話し相手を求める方が、私の人生はその方が、話し相手として気が晴れるだろう。とにかく、そんな差別意識を持っている訳でもない。私は理解しているつもりだ。社会的弱者の中でも、一般社会と同じ割合でいろいろなタイプの人々がいることを、少ない人生経験上で知っているつもりだ。社会的地位が低ければ、生存競争が過酷で、より酷い人物を目にする機会が多いのも確かだが、社会的に地位の低い者たちは可視化されやすいってだけで、どこにもいろいろな人がいる。
とにかく、働かなければならない、自分の身を守る為に。しかし、自分の存在が大切でかけがえのないものとも思えない。しかし、他人を罵倒する代替として、自分を罵倒するのも短絡思考だな、と思う。そんな考えより、長期、中期、短期、それぞれにバランスよく思考の総量を行き渡らせたい。しかし、憎しみは拭えない。人生も田舎もクソだと以外、視線がフォーカスされにくくなっている。
これ以上思考を深追いすると頭痛がするので、またの機会に。