« 昨日は久しぶりに、時間的によく寝た。 | メイン | 「プロの嘘つき」って比喩は面白いの? 笑った方がいいの? »

LOSTネタバレと絡めて、ゴダールのオマージュについてや、プロの嘘つきについて。

LOST Season5シーズンファイナルの2話分を昨日の午前中に観て泣いた。ネタバレになるので書かないが、最後のシーンの俳優に不器用な動作をさせる演技らしき手法を使っていて、何か感動したし泣いた。そんな映像手法が確立されたり認識されたりしているのかは、不勉強にして知らないが、例えば、映画『気狂いピエロ』のラストシーン(の内容をここに書くことに拠って、二重にネタバレしているんだが……)のジャン=ポール・ベルモントが演技とは思えないような、不慣れなまどろこしいノイズを含んだ動作で、明らかに偽物の爆弾が連なった帯状のものを、自殺しようと顔に巻きつける。LOST Season5シーズンファイナルのラストシーンは、映画『気狂いピエロ』のラストシーンに対するオマージュであったように、私には思えた。未だ内容は分からない状態のまま、観てみたので、まあとにかく、内容的に言語的に細部を理解していない部分が多い。

後、私は90年代に好きでよく読みこんだ小説家である島田雅彦の、小説内でも随想や論考でも頻繁に言っていたように思うが、「小説家とは、プロの嘘つきのことである」と何度も聞いた。最近ネットで話題になった村上春樹の海外の文学賞の受賞スピーチだかなんだかの私はよく分かっていないやつでも、「小説家はプロの嘘つき」という定義だか立場だかが、強調されていたように思うが、興味がないのでよくは知っていない。「小説家はプロの嘘つき」というのは何なんだろう? 誰が元ネタなのか? とにかく、ある種の小説家においては、「小説家はプロの嘘つき」という自己定義が共通認識としてあるらしい。

そして、LOST Season5シーズンファイナルでも「小説家はプロの嘘つき」と同じようなことが秘密としてあって、プライベートでは読書家でもある、そのある特定個人の内情が暴露される。

「小説家はプロの嘘つき」とは何なんだろうか? 私には分からない。自分を格好つけて見せる手法としてしか機能していないようにしか思えないし、LOST内の手法では、あああこの辺に足を踏み入れると長々文字列が出て来そうなので、この線を引っ張るのはここまでにして、別の短そうな線を引き抜こうと思う。

とにかく、「プロの嘘つき」の意味がシンプルな事情のものではなさそうな印象があるし、その意味合いがぼやけた印象しか受けない。シンプルに読み解くと、嘘をつくことで生活が成り立っているのが「プロの嘘つき」で、すなわち小説家ということだろう。次にどういう意味で言っているのかが分かりにくい「嘘つき」にのみ焦点を当ててみる。ここで、意味が分からない、ただの純粋なナンセンスにしか思えなくなる。私は小説家とは、物語を売る仕事だと思っているし、もっと深く意味を追えば、物語=文章を売る仕事とも言えるかもしれない。自分のことを文学者と自称しようが、結局は、小説家とは文字メディアによるエンターテイメントの提供者と思っている。なぜ、それが「プロの嘘つき」となるのかが、意味が分からないし、ただの文学的な寝言にしか思えない。

「プロの嘘つき」の意味するところには、実は上に書いた私の批判以上に事情があるのだろうと、私は推察するとすると、そこには神や宗教が係わってくると思えて来る。「プロの嘘つき」とは、現代の国際社会の経済活動自体が詐欺的な幻想をベースに(世の中)回っている、という話の方向ではないだろうと推察する。その辺の考えについては、次回以降の気が向いたいつかに書くことにする。つまり、特に私の中で考えがまだ纏まっていない、ということだ。

スポンサード リンク

連絡先

  • blog@hikikomori.in
Powered by
Movable Type 4.261