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人生に価値が無い。

ブログってなんだろう? 私のブログがあったらいいなと妄想する理想形は、「ひきこもり」や「ニート」で検索すると一番目にあることで、オファーのありなしはまた別問題にして、その位置から「働きたい」とか「仕事ください」や「働かせてください」などと発言することだ。

しかし、どうでもいい。書きたいことを書けるのは、誰にも注目されていないからなのだろうから。とにかく、何だろう? 昭和の小説家などで、最も切実が表れた文章と評価され言及されているのは、つまり、本領発揮しているとされた文章は、お金の無心やその拒絶による逆ギレをする手紙だ、という風にも聞いたことがあるように思う。その手法を借りる借りないの問題ではなく、私もお金さえあれば命がいくらか救われる。

確か、その昭和の小説家とかは、当時誰にでも新聞広告からの通販や栄養ドリンクを処方するような医者などから簡単に手に入ったヒロポンとかアヘンチンキとか買う為のお金の無心だったろう。とにかく、私は何者でも無い。ドラッグシーカーでもなければ、ギャンブル中毒でもアルコール中毒でもない。お金があれば、人生の自由度が増すし、純粋に経済活動に換算されえない私の自信を他者が買うことだってできる。

お金が欲しい訳でもないのかもしれない。私の過大な労力が何にも換算されることのない実情に深く絶望しているだけだ。私のブログには何の価値も無いことは、そのアクセス数からよく知っている。否応無く実感させられる。ブログを介して誰かと話したいし、ブログを介して誰かと会いたい。とも思うし、ブログを通して、貨幣の価値観を従来とは違った方向へ持って行きたいとも思う。前者も後者も非現実的な、私のような無能力個人には大きすぎる望みを背負ってしまっているのかも知れない。

私みたいな人間にお金が流れてきたら面白い世の中になるだろうな、と少し思うが、どうせ貧乏人の生まれなんで、お金の有効な遣い方について全く知らない。もっと身軽な人生が送りたいとも思うし、もっと社会的に遊びたいとも思う。前者は何者にも期待したくない表れの心理的力学作用だし、後者は私の能力に需要が発生し、供給する側に回りたいということであろう。私の人生は無能無価値で構わないが、何らかの自信が無いと人間生きて行けない。

人生で一度も物事が上手く行った経験もないし、生きてて良かったと思ったことも一度も無いし、生きていて幸せに感じた場面も一度も無い。危機的な程に自信も無いし、同等に能力も無い。人生で無いもの探しをしてはいけない、と自己啓発本などは言うのだろう。だが、少なくとも、自己啓発本を出版するに至る時系列的前後のお金の流れは、全く信用していないし、そんな経済的社会構造に微塵も加担したくない。しかし、その言葉の意味するところは分かる。

自分で自分の首を絞めることはするな、負の方向で心理的エントロピーを増加させるな、生きる為に無駄な思い込みによる心理的負担を少しでも減らして行きましょう、とかそういう類の合理的なたわ言だろう。私は加速させたい。このブログは精神的毒素を吐き出せばすっきりするという範疇を上回った活動をしているとの自負はある。それだけは誇れる。過剰さだけは成功しているし、その過剰さ故に破綻しかけているのも、私にも見える。

書けば書くほど満たされないものがある。愚痴を書いても、愚痴に似た何かを書いても、少しもすっきりしない。書けば書く程に、頭痛がして来る。書けば書く程、その文章自体が、タイピング速度の限界やら何やらの物理的な自分の無能さと限界を知らされる。体調が悪い。ストレスから来る肝臓周辺の内臓の負担が大きい。無職のストレスは大きいものがある。心が処理しきれない程に最大限に荒む。その最大限の先に何があるのだろうか?

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