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無職なのに時間が足りない

いろいろ書きたい話題が脳内山盛りなんだが、そんな無駄なことに費やすリソースを私は持っていない。人生に怒りを抱えている。他人に対して、社会的に成功して見返してやる、というフレーズはまず先に浮かんではくるが、そんな思い込みは無意味だし、距離を置きたい、という結論が私の中では出される。何を優先させたいか、ということで、無駄な思い込みは全て削ぎ落として、濁された心から真意だけを注意深く見詰めたいのだ。だが、私のような人物は、完璧な傍観者に成り得ないことも理解出来てきた。注目されることを嫌っているせいか、それ故にか、騒動の中心に立たされることが多い。それと、もう一つ人生で絶対的に嫌っているのは、騒ぎの中間の立場に立たされること。何の連絡役も繋ぎも務めたくない。私のような人物は、観察されればされるほどに、減っていく。その減っていくものを、私は最大限守りたい欲望を抱えている。正直、私は私のブログに関して、いかなる感想を持たれたくないし、それこそを禁止したい。私は生きているのだ。今日を生きようともがき、明日まで生き延びようともがいている最中の生き物だ。私はたくさん意見を持っている。だが、それを可視化するのは限りなく遅延させたい。怒りが限界を超えるまでは、何の意見も主張したくない。それは、知識は価値のあるものだから他人に知恵を付けさせるのを防ぐ為もあるし、何か主張することで他人の私に対する待遇を改善させようとも思わないからだ。例え、それが劣位者の俺の方が優位に立っているという思い込みを守る為の、心理的働きだったとしても、そう負け惜しみだと他人に解釈されようとも、私独自に編み出した最終奥義を披露する瞬間というのは、選びに選ぶ権利くらいは私にもあるだろう。私は、私の失敗人生を種に、他人の思考に何らかの花を咲かせるのを、酷く嫌っている。奪われたくないという意味もあるし、誤解を生みたくないという意味もある。後者の感情が厄介で、誤解をされたら、自分の意見を言う瞬間がここなのか、と動揺してしまう。私は動揺したく無いし、言い訳もしたくは無い。結局は、何も見なかったことにする。しかし、不満の極致にいる。ここで思考が混濁し、目に付く何もかもを、私と同じ不幸のどん底に、私の手で落とし込みたくなる。心のバランスだ、そう思って、私の人生の良い所を、心の中に探しに出掛ける旅をする。次の瞬間には、私のでなくとも、人生は素晴らしいと思う。あなたの人生は素晴らしい。だから、私の人生も素晴らしいものかもしれない。そう心の底から思える。そんな心のバランス取りばかりに時間を奪われ、無職なのに時間が足りない、という馬鹿げた事態にある。ここ一体何平洋よ。

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