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心が、極限状態に近い。

文章を書きたいのだが、碌なことが書けそうも無い。書いては消し、書いては消し、で。ネットと言えど、フリースピーチが可能な、つまりは何をやっても許されるような、言葉は忘れたが、法律が及ばない特定地域では、完全にあり得ない。言論の自由は、とにかく、誰かの自由は誰かの不自由で、不自由では済まない限度というものがある。つまりは、社会常識の範囲内か、もしくは、そこから少しだけはみ出してしまった程度で、許される自由でしかないし、結局は、常識の範囲内からはみ出す程度ならば良いが、そこから外れていこうとする運動は、許されない。

どちらにしろ、ストレスが溜まっている、という一言で済まして、過激な発言は避ける。ひきこもっていては、ストレスが溜まる。ただ、それだけだ、私が考えていることや欲望は。と言っても、ひきこもりながらストレスを解消する技術は持っているつもりだ。だが、その技術が利かない日が続いている、ということだ。

定職を持てば、全てが解決するストレスか、とも思うし、その解決方法しか思い付かない。だが、もう少し、遠回りしてみる。結局は、その試みが私が唯一人生で持ち得た物、獲得した物、ということだろう。

実際は、そんな生易しい記述の内面を抱えている訳ではない。書かないが、もっと過激な、ドス黒い感情に呑み込まれそうに成りかけている。そういった面から、私はよく今まで生きてこれたな、と思う。これこそ奇跡だと思う。誰にも相手にされないし、そう書くことで誰かが不用意な励ましめいた言葉を掛けて来られたら、最大限に瞬時に切れる自信があるんだが、とにかく、ブログのおかげかな、と感謝はしている。この場に、感謝している。自分の物でありながら、自分の物で無い、この場に感謝をして、いつも敬意を払ってブログを書いているつもりでは常にいる。

しかし、時期が悪い。田舎なので、求人数が激減していて、最底辺の日本人が嫌がりそうな仕事に就かなければならない、のかもしれない、人生全般に対する不安が半端ない。そういうのもある。とにかく、越えられそうも無い壁がある。気のせいか、気のせいでないのか、分からないし、その感触を触って試そうとも思わない。何も知りたくない。そんな知識は要らないし、受け入れるのを拒否したい。

とにかく、誤読をされそうなことを書いているが、そういうのとは違うことを、婉曲表現で書いてきたが、とにかく、心の許容範囲の限界値を超えそうな、精神的極限が来そうな内面を抱えている。どうその、極限間近な練りに練られた感情の高まりを、脇に逸らせて無害な方向へリリースするのか? 心が折れそうだ。心が折れたら無害に変わる、という訳ではあるまい。心が折れて、その反動が内向きに作用するにしても、結末は廃人で、一生立ち直れないだろうし、ブログを書けるような人生も今後持てなくなるのだろう。

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