日本人のお家芸
日本人のお家芸だと直感的に思っているだけで他にそういった物語を観た/読んだ経験がないに近いと思うのだが、北野武の映画『座頭市』のように、対外的に一番低い身分(ホームレスや知的障害者)に身を置くことで情報を収集するような黒幕が、好んで描かれる物語は日本くらいだろうと思っていたが、そこに焦点を当てると、アメリカでも好んで使われる手法でもあるが、完全に部分的なものであるとも言える。
デクスターも似たようなものかもしれない。職場の同僚に好感を持たれる目的で、毎朝同僚皆にドーナツの差し入れを欠かさない。同僚からは、そんなコミュニケーション弱者だと思われている。そして、このデクスターの物語は、一人語りの心の声が多用されている。明らかに内向的な人物で、考えてばかりで何も行動を起こさない時間が長い。
しかし、デクスターはアメコミのセオリー道理の物語作りが基本的になされてもいる。実の両親の不在天涯孤独、恵まれた才能、社会生活者としては内向的な人物でその才能を社会的には発揮できていない人物。そんな感じで。
スパイドラマでは、社会的に無視されがちだが、明らかに誰もが気づくような特徴的ないろいろな人物に成りすます。それは目的を達成する為に必要なことだからだ。スパイドラマと同じように、社会的弱者を演じるタイプの異常犯罪捜査官系のドラマのシリアルキラーもたまに出てくる。
羊の皮を被った狼的なものではなく、対外的に羊の演技を得意とするタイプの人種。とにかく、そのような大掛かりなパートタイムジョブ的なものではなく、先程日本のお家芸と書いた技術手法の物語は、もっとマゾヒスティックな匂いが濃いものである。
社長や会長が総合商社的自社ビルで、使えない無能清掃員の役割を物語のほぼ全体に渡り与えられていて、最後に最高に身分が高い人物だったことが明らかになる。そのような感じで。