« フランスから、アメリカへ。 | メイン | 満たされない欲望。 »

アウトプットとシェア。

90年代初頭のR&Bだが、今聴いても新鮮だし、かっこいい。どちらにしろ逃避行動かもしれないが、就職へ向けて準備するのを放棄して、一時止めていたネットゲームばかりやっている。本当はこんなことをやっていたくはなく、就職したいのだが。だが、何か報われたい気持ちが捨てきれない。ひきこもり人生で、一番救われた成果が、ネットゲームを覚えたことというのは、結論としてそうだが、皮肉以外の何者でもない風にしか思えない。私はネットゲームが嫌いだ。人と協力することで、最大限の恩恵を受けられるシステムとなっているからだし、私より環境的に恵まれた人種が、私がいくらひきこもっても一生成し得ないであろう高レベルキャラを成し得、かつ、ゲームもやらずにだべってだけばかりいるように見受けられる。とにかくこの流れとは関係ないが冒頭に戻って、今こうして振り返れば、90年代初頭もそう悪い時代でもなかったようだ。ネットゲームなんかしていたくない。頭に鈍痛が慢性的に来る。それとは別に、アレルギーで顔が異常に痒く、アニメや海外ドラマが集中して観れない。寒くて、頭痛もずっとしている。人生一つもいいことがない。2000年に常時接続環境がインフラとして地域に整ってから引いたのだが、ネットゲームだけはやるまいと思っていたが、現実は逆だった。ネットゲームをやった方が、人生救われていた。とにあく、ネットゲーム何かやりたくないが、明らかに見返りがあるネット活動は、これ以外に見出せない。ブログをやることで、精神的見返りはあるのだろうが、気のせいや誤差の範囲と言われれば、(虚勢でも実質でも何でも)否定できる意志の強さを未だ身につけられない。すべて、誤差の範囲だ、と思うことにしよう。そして、ネットゲームばかりやっている。レアアイテムがボロボロ出て来て欲しいからだ。とにかく、ブログ活動は、自分を出すのが下手な自分の、実地練習にはなっているとは思っている。しかし、誤差の範囲内にしか思えない。というより、自分が得た技術をアウトプットする場所というのは、得がたいものだと思う。例えば、私にリアル知人が出来たとして、ネットゲームのスキルを分け与えることは、微塵も出来ない。他人から実践的知識を奪うことに少しも躊躇することは無くても、与えることは出来ない。ブログ上だから、シェアすることが出来るだけだ。私なんか、リアル知人が出来たとしても、少し私的興味を話すだけで、ブログばれしそうだ。自分を出しつつ、自分を隠す。世の中、訳が分からない。私の脳みそで理解できる世の中ではない。世も肉体も捨てたくなる。

スポンサード リンク

連絡先

  • blog@hikikomori.in
Powered by
Movable Type 4.261