英語からの日本語への転用、その良い側面と悪い側面。
字幕で海外ドラマを観ていると、激しく言語的に混乱させられる日本語に出会うことがある。その度にメモを取っているよりも、言語的混乱からくる精神的ショックから回復するのに手間取るから、ストーリーを追っていく上でメモを取っているような呑気な事態ではない。
「you are hot」が「君はセクシーだ」と訳されている程度のことだったかもしれない。気候や温度ではなく人物を指した「hot」が「ゴージャス」だとか「セクシー」に言い換えられるのは、瞬時には納得が利かなく、耳から入る言語と視覚から入る言語で、すんなりとは噛み合わない異質な文化がある。
もしかしたら「you are gorgeous」と「you are hot」が同じく「君はセクシーだ」と訳されているのを目や耳にしたのだったような気もする。
とにかく、激しく混乱させられる一例だが、カタカナ英語は日本語そのものだと思えば、その事態への対策として全てに合点がいく。
いい意味で、英語の口語に刺激を受けることも多い。80年代だかの一般論で「今の若者は何か言う度に『嘘? 』だとか『本当? 』だとか相槌を打ってくる。人の話をいちいち疑いやがって、けしからん! 」という物言いがよく見受けられたと思うが、これは単純にハリウッド映画やハリウッドドラマのセリフからくるものだろう。イギリスの映画やドラマでもそれと同じ相槌が打たれる。
英語に刺激を受けたと思われる日本語の例は他にもある。「注意深い」や「思慮深い」という日本語はあっても、「注意を払う(pay attention)」という日本語はもともと存在しないのではなかろうか? これは英語から来ているのかもしれない。