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優柔不断では、見返りが得られない。

DEXTER Season3 第02話を今観終わった。デクスターほど好きなドラマはない。最高だ。とはいっても、LOSTも最高だし、House M.D.も最高だ。他にもいろいろ最高が私の中にある。しかし、最近集中力が著しく欠けていて、物語のストーリーが頭に入りづらい。シークバーをカチカチとクリックすることで、辛うじてストーリーを追うことができている。

映画館に行って、私の物語に対する態度をテストしたい気分だ。他の角度から、その物語に対する態度をテストするのも試したい。前者は、物語の良き消費者になる、自分が自分で設けたハードルのようなもので、後者は、何らかのクリエーターになりたい昔からの願望だ。

物語に対して、良き消費者かつ良き生産者に同時に成りたい。とにかく、私は何も出来ない無能力者だ。つまりは、決断することができない。練りに練った決断をやっと重い腰を上げて決断したかと思うと、これは最悪の決断であり結果を招いたと確信した経験しか人生の中で持ち合わせていない。それか、練りに練った決断を計画途中で誰かに台無しにされたような経験しかない。

その連続ばかりで人生に嫌気が差して、ひきこもった。田舎には高度な文化がない。自分で作るしかないと思った。自分で作るというのは、クリエーターになることではなく、あらゆる物語の効率的な消費者になりたいと考えた。クリエーターになるには、初期資金が掛かり過ぎるから初めから選択肢になかった。

とにかく、何かをしたい。人生の中で過剰に何かがしたいのだが、いつも邪魔が入る。とにかく、こんな無職生活は続けられない。ひきこもっていても、何も手につかなくなった。能動的な作業が手に付かない。なら、受動的な作業には集中力が保てるか?その可能性も視野に入れて、何らかの就職活動をしてみたい気にもなってきた。

私も馬鹿ではないので知っている。100何らかの仕事をすれば、一割は誰かが認めてくれるだろう。それでもダメなら、1000やればいい。1000の角度から人生を見つめ直し、1000の行動を取れば、一割くらいは自分に返ってくるだろう。だが、とにかく、私は行動するようなタイプではない。計画を練るのが好きだ。

そして話が脱線するかもしれないが、このような考え方及びことわざがある。「情けは人の為ならず」。つまりは、人に親切にすれば、巡り巡ってその親切が、施した人からじゃなくても誰かから返ってくる、そのような意味だろう。言わば、親切のウイルス感染のようなものかもしれない。

しかし、私はこのような意味だと思う。人に親切にすれば、その親切を施した人物に良い影響を与えた分だけ、自分の人的資産が少しずつ増えていく。もしくは、他人に良い影響を与えた分だけ、精神的な栄養を瞬時に補給できる。「情けは人の為ならず」は、元々の意味の間接的な効果ではなく、直接的な効果があると考えている。

逆に考えれば、私の考えが分かりやすくなるだろう。他人を直接的に馬鹿にすると、この上なく爽快な気分になれる。それも親切と同じく、精神的な見返りが存在する証拠だ。とにかく、この私のような生活では、何の見返りもないということだ。

1000の社会参加をすれば、その一割くらいは成功が見込めるかもしれない。と、思うだけは思うが、決して実行に移すことはない。1000行動すれば、その内の500は大小の恨みを買うことだろう。社会とはそのように出来ている。その内の500近くは私の成した仕事には全くの無関心、というところが実情だろう。

どちらにしろ、私は人と関わりたくない。しかし、人を避ければ避けるほどに恨みを買いやすくなる。恨みを買っいやすくなるは、他人から良い影響を受ける機会も減っていくは、悪いサイクル内に完全に嵌ってしまう。

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