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不幸と幸福

薬師寺涼子の怪奇事件簿 第10話を観終わったところだ。それによって、岡本綺堂という小説家を初めて見聞きした。麻布のがま池伝説について書かれた内容の本を書いた作家、もしくは岡本綺堂の代表作、のような印象がついた。

集中力が奪われてばかりの生活で、ひきこもりに固執するようになった。ひきこもり生活の中でも、拡散と集約のサイクルがあるのかもしれない。負の感情を寄せて集めて凝縮する気力を充電する期間と内的葛藤が増していながらも何も手につかない気力が抜けていく期間の二種類がある。

力が欲しい。その意味するところは、私にとっては、他人をチェスの駒のように使うようなところにはなく、社会的に使える技術を意味する。私はジャズが好きで、その定番曲を自分でも弾きたいとよく思う。しかし、何の音楽的技術力もないから、その願望を今できることと今はできないことのすり合わせ的作業、試行錯誤すら許されていない人生に嫌気が差して死にたい、こんな人生ただ生きているだけで無意味で無価値なのだ、としか思えない。

未読だが、トルストイのアンナ・カレーニナとタイピング(&知識修正のコピペをした)しているこの一瞬で状況が変わったが、とにかく、タイトルを正確に覚えているか確認の為にググった。検索結果の一番目にすでに正確な私の言いたいことが書かれてある。Wikiのペディアさんにアクセスするまでもなく。といってもクリックしたが、『冒頭に「幸福な家庭は皆同じように似ているが、不幸な家庭はそれぞれにその不幸の様を異にしているものだ」という有名な一文がある。』と書かれている。アニメ『隠の王』でもその引用がされていたし、他のアニメでもよく聞く。

とにかく、幸福を思い描くだけの状態であろうと、実現させようと、幸福は単純で退屈なもので、不幸は詳細を勘繰られるような目に遭いやすいが、そのリスクを背負ってでも、不幸に見入られ、不幸を細部にわたってまで緻密に人生を賭けて検証する価値のある人間の唯一の価値観である。つまりは、幸福は退屈で不幸はエキサイティング。そんな曲解を楽しむ。

だんだん文章が纏まらなくなったので離脱する。不幸であれば、どっぷり浸かるのも良し、別の不幸を求めて離脱するのも良い。幸福であれば、子孫繁栄だけの為に全人生を費やすのも、それも私以外の他人の選択としてはリスペクトすべきなのかもしれない。

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