ニートひきこもり宣言
ブラウザ関連は一つのアプリケーションでタブ化されて開くのだが、フォルダやアプリケーションを多めに開いて、かつ、テキストエディタでブログを書いていたら、暑くてもうどうでもいいやと思ってしまって、ブログを上書き保存しないまま、パソコンを終了させてしまったので、せっかく何時間も掛けて書いた文章が、消えてしまった。せっかく、ブログを書いたというのに。
内容は、概ねこんな感じだろう。私は「ひきこもり」というタイトルでブログを運営しているが、検索キーワードに引っ掛かっていないので、キーワードの旨みは皆無。それに加えて、どんな作用が予測されるかといえば、私がひきこもりやニートという言葉で自己紹介することで、言葉に人生を規定しすぎ/されすぎなのではないか、という当然の他者からの疑問を挟む余地があるという点。
その疑問に対して、様々な視点から誤読を主張できるが、自己弁護や弁明的な後ろ向きなブログを私は書きたくないし、書く必要も感じない。私は、ニートひきこもりだ。そう名乗ることが、社会復帰から最も遠い地点に自分を追いやっている、ということは私に限定しては、有り得ない。第一にニートひきこもりだと書いて、誰かが就職の世話をしてくれる訳ではないし、第二に検索エンジンにも引っ掛かっていないから、過疎っているので、誰の目にも留まらない。
話が飛躍しすぎるかもしれないが、私が生きている限り、就職しようが何しようが、一生このブログをこのタイトルで続けるつもりだし、もう私が気負っている何かから解放されて、このブログの場に限定して、一生私はニートだひきこもりだと名乗り続けてもいい資格くらいは、このブログを長年書いてきたことで獲得できたはずである。何らかの到達点を達成しない限り、私はニートだしひきこもりでしかない。例え、奇跡的に経済的自立を果たせても、私が選んだ職業によっては、より、ニートひきこもり的不満が反作用的に増大する結果となることは、火を見るより明らかだ。
持たざる者でなくなれば、私にとっての満足であり、このブログの到達点だ。何らかのラッキーで女性とセックスして、妊娠させてしまって、嫌々低学歴でも安定して働ける工場のライン作業を一生続けるにしても、それも、持たざる者を脱却する一つの方法で、田舎に住む人間というのは、大半がこういった種類の人間ばかりだ。それ以外の方法で、何とか持たざる者からの脱却を計りたい。しかしながら、アルバイトして学業資金に当て続ける、そんな生活を始めるにも、私は能力的に出来そうもない。それに、田舎に住んでいることも、私の視界を暗く曇らせている。
このブログを始める一年以上前から今まで、本当にアルバイト何もしてこなかった。先に書いたように、それは言葉に規定されたからではない。だが、もうどうでもいいだろう。私がアルバイトしようが形態は問わずに就職しようが、どっちでも構わないだろう。私はもう、一生ニートひきこもりでしか有り得ない。といっても、求職活動する程度の人生の建て直しすら、私にはハードルがエベレスト級に高すぎる。外出着どころか、下着すら破れた物しかもっていないし、交通に不便な田舎だというのに、自転車も積年の粘着した汚れがべっとりかつ修理が大幅に必要だ。スーツを持っていると、より自分を高く売ることが可能かもしれない。しかし、自己資金がゼロだ。自己資金ゼロからの出発に、何の望みがあるというのだろう。
望みとか贅沢言ってないでとにかく働け、という向きもあるだろう。生活する為には、仕事を選ばず働くことから始めろよと。私は、私より持てる者の意見は全く聞かない主義だし、こういった向きは、私より持てる者の癖に、何の社会的な力もない、会社に辛うじてぶら下がっているだけの給料泥棒に過ぎない。家庭を維持する為だけに働いているのであって、会社に貢献する為に働いているような人種ではない。もしかしたら、私はそういう人間にだけは成りたくないから、ニートひきこもりなのかもしれない。言葉に規定されるというよりは、こっちに方が心情に近い。
私は何らかの達成を感じるまでは、一生このタイトルでこのブログを運営するつもりだし、その資格がネット上の他の誰よりも、有しているはずである。こういった宣言を改めてする理由というのは、正真正銘ブログを始める一年以上前から現時点まで、アルバイトも何もしないで、何かを掴み取ろうとした活動の軌跡を、誰も祝さないので、自分で祝う為である。そして、より怒れる人間に生まれ変わろうと思う。より、キレる人間に成ろう。鋭利な刃物のような明晰な人間を目指すといういみではなく、神経がぶち切れた人間に成ろう、そんな宣言である。