とにかく、自由になりたい。
体力が有り余ってしかたがない。だが、精神的な葛藤の大きさから、幾ら体力に余力があろうとも、ひきこもりや無職の維持に全て持っていかれるのが現状だ。もっと自分の能力や人生に残された貴重な時間を有効に使いたい、そんな祈りにも似た願望だけはあるし、そう毎日願っている。
今まで住んだ環境や知った住環境の中で、今の住環境は最低レベルだ。それに耐えることで、私に出来る精一杯だ。自分の家の生活習慣には合わせられるのだが、近所のまでは無理だ。他人の生活習慣は不可解だ。暇を持て余しているは、リッチそうだは、リッチそうとはいっても、所詮下層階級の中流レベルだろう。それが、中流階級面して気取っていやがる。
とにかく、落ち着いた環境に住んでいれば、もっと社会的に自分を実験体の駒にしたい。様々な職種の職業に就職し、試用期間終了と共に辞めたり。その行為で、どういった自分の内面の世界観が広がるかといえば、いろいろと広がるだろう。職歴無の低学歴でも、今の年齢でも、職業を自分で選択肢の中から選べるということ。その反作用もあろうが、この行為の最大のメリットは、自分に主導権があることを実感できることにある。
これは机上の空論かもしれない。まず、私は自動車免許もスーツを買うお金も無いし交通の便も非常に悪い。交通の便の件は別件だとしても、自動車免許や服装で面接資格すらないということもあるのかもしれない。要普通免許の求人条件が大半だからだ。
とにかく、自由になりたい。社会的にお金を払わず遊びたい。ひきこもりからの回復過程で、お金を払って社会参加しようと私も考えたが、出費がかさむし、社会と触れ合ってもいない。しかし、社会の商業形態やそのシステムに慣れているのは、社会生活を営む上で他人より優位に立てることは間違いない。レンタルビデオの会員になるやマクドナルドで注文するから始めて、ラーメン店の食べ歩きやカラオケ店に一人で入るやゴルフの打ちっぱなしに行くなど程度の社会的ルールを学べる。
この到底社会参加ともいえないお粗末な消費活動の習得に何の社会的利点があるのかといえば、他人と関わるきっかけになるのだろう。自分の生活を豊かにすれば、その遊びに他人を誘い入れやすい。会話のきっかけにもなる。私のような生活形態では、他人に喋る仮の趣味なんか持っていないし、私の室内での活動は堅く秘密にすべきだ。私はブログもアニメも映画も海外ドラマも観ない人間だ。
とにかく、自分の生活が豊かだと、自分の生活圏に他人を巻き込みやすいのは確かだろう。私の生活圏には私しか居場所が無いものを作り上げている。
この話を書き忘れたが、こんなセリフを何かの映像作品で聞いて覚えている気がするのだが、人間には二種類いる、フォロワーとリーダーだ、お前はリーダーじゃなくてフォロワーなのか?と、相手を怒らせようとするダイアローグ技術がある。日本人ならそこは怒るところではない。日本人はリーダータイプではなく、フォロワータイプだ。何の話題もなければ、他人に合わせればいい。出来ることなら、知っているのに知らない振りをして、他人に導かれるがままにする方が都合がいい。
結論は無いし、人生模索中の前段階ですらないのだが、概ねは言いたいことを言ったので、書き終わる。