楽しみが残っていない
まだ今週分をチェックできていないが、もう来週放送分でLOST Season4のシーズンエンドが来てしまう。私にはもう、LOSTしか人生の楽しみが残されていないというのに、私からすべての楽しみが過ぎ去ってしまう。お手軽な大量に手にできる、日本のアニメを物量作戦的代替として観ても、興奮と同時に醒めた緊張感を味わえるものに永久的に出会い得ない。
しかし、そうはいっていても、それに近い感覚を得られる作品も多くある。しかし、紅 kure-nai 第06話とか、ミュージカル的ブレイクの回、箸休め的に話の流れが止まりだが日常のドタバタが巻き起こる回という意味でブレイクを使ってみたが、ミュージカル調のアニメなんか観ても、何らかのパロディねくらいにしか思えないくだらなさだ。
とはいっていても、例えば、csi maiamiを観る理由なんて、カリー・ディケインの胸元が大きく開いた服、つまりは胸の谷間目当てで観ているようなものかもしれないが、彼女は南部のお嬢さん的良家の生まれっぽいので、知的なセクシーさを目当てに観ている側面もある。
ここまで書いて、この文章からの休憩がてらLOST Season4 第12話を観て観終わった。この文章をもっと長々と書きたかったが、今は気分がこの上なく、気分が充実している。文章を書くということは、私にとって唯一持て得る考える場だ。内面を深く潜るかのように、書いている。私の人生にとって、そのような時間はもう持てなくなった。なので、文章を書く機会が減っていることは、このブログのエントリー量で他人の目にも見える形で残っているだろう。
私は数字で計れる存在になった。私が考える時間が持てる時は、このブログの場だけだ。その回数が年月を経るごとに減っている。もっと、考える時間が欲しい。例えば、他人が持っているスキルを交換する場を設ける。ニートやひきこもりが情報を交換する場とする。だが、全ての現代人の戦いは個人的な問題であり、誰もが価値のあるものを他人とシェアするのを嫌う。そういった場は、コミュニケーションの場であるべきであり、それ以上のものは誰も望まない結果を生む。
つまりは、私が苦労して実験して経験した、インターネット上のフィールドワークは決して他人に教えることはできない。結果、何も他人と話す話題が無い。全時間の持て得る限り全てを、インターネットに注いでいる。その活動の裏側を、他人に教えることは出来ない。私は、インターネット上において、目に見えたり消えたりする。このブログにおいても、いろいろなことができる。だが、今以上のことはできず、ただ淡々と、文章を書くための時間を出来得る限り多く割くのみだ。もっと、心理的に更新しやすいデザインに書き換えたい欲求もあるが、私の技術力や情報管理術やプレゼンテーション力が低く、これ以上のことは、私がこのブログから得られる精神的見返りが大きいものにならない限りは、無理だ。