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トラウマは精神的な資産か?

トラウマ自体を莫大な資産に変えるという意味ではなくて、トラウマを精神的な資産にできる人とトラウマで精神的負債を負わされてしまう人の違いはどこにあるのだろうか?と、DEXTERを観ながらそういつも思っていた。現在長期放送休止中のシーズンエンド中でずいぶん経つドラマで、現在進行形では観ていないのだが。

しかし、私はロビン・ウィリアムズ主演の映画『ファイナル・カット』も好きで、この映画とドラマ『DEXTER』の世界観を重ね合わせると、上記の世界認識にわずかだが、だが決して見逃せない齟齬が生まれる気もする。記憶とは編集可能なものだし、上書きも可能なものだ。

とにかく、ひきこもっていては、記憶を良い方に上書きされるべき記憶が、より悪い方向へ上書きされ続ける、禁忌されるべき悪循環を生むばかりだ。しかし、ひきこもらなければ、何の独自のスキルも身に着かない。私の周りに住んでいる人間なんて、中学生のまま人生が止まっている低学歴連中ばかりだ。

話が散漫になってきたが、私がひきこもりに固執と呼んでもらってもいいし中毒と呼んでもらってもいいが、パソコンの前に意地でも固執することで精神的に得られるものがある。しかし、絶対に精神的にプラスにはならない。得られても差し引きで、負債の方が遥かに上回る。その程度の技術力しか得られない。

といっても、ブログを書くことで精神的に何か得られているかと言えば、無いに等しい。無いに等しいということは、微々たるものにすぎないが何かは得られているということではあるが、何も無いとも断言できる。読者ゼロの無職の精神的葛藤が大きすぎて、社会的に生きていけない生ゴミ人間の日記にすぎない。

私を読むより自分で書くべきだ、無意識にそんなメッセージのみを救難信号のように必死に呼びかけているだけのブログだ。私は自分を見て欲しい、自分だけを見て欲しい為にブログを書いて他人の気を惹いている訳ではない。私のブログで言いたいことは、私を読むより自分で書け、私を読み解くには文章がお粗末過ぎてかつ精神的に込み入っているから、社会的にノーマルライフを送っている人には精神的に参るだろう、私のブログを読んで時間を無駄にするよりも何か自分の知識を配信したら?という主張に満ちている。

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