ひきこもりは文化的趣味を卒業すべき?
先でリンクしたニュース記事なんだけど、「同じ無職なのに凄い人がいる!」という理由から感銘を受けて紹介したのではない。地方出身地元就職、高卒らしい最終学歴、アクセスを集めるサイトつくりが予備校時代から長けている才能。アクセスを集めるということがどういうことなのか?その辺が私の興味を引いた。それに加え、ドメインが私と同じインドドメインだということ。
今考えればなぜ興味を持ったのか、自分の気分を疑うが、とにかく、偶然別の用事でググっていたら引っかかって興味を持ったことは事実。一日平均80PVで何の気兼ねなく文章を書かせてもらっている/書いている立場だが、文章とは何だろうか?と疑問が沸いた関連性で、該当記事に興味を持ったのも事実。文章に興味を持つより、プログラミングに興味を持った方が、生きやすいのではないか?と、他人の考えに心が揺れた瞬間でもある。
ひきこもりというのは、近所から差別を受けやすい。近所を歩くと、後ろ指を差されることもある。窓を開けても、指を指されることがままある。つまりは、どちらにしろ、まともな神経では、日本や世界中の田舎でひきこもりにを選択する人は少ないだろう。
ニュアンスを分かってほしいのだが、私はひきこもりは本人の選択の結果と主張したい訳でも、ひきこもりはまとまな神経の持ち主ではないと主張したい訳でもない。どんなコミュニティでもイジメや嫌がらせは付き物だ、ということが言いたい。自分の無能さや弱さを目ざとく攻撃してくるような嫌な奴というのはどこにでもいる。いくらひきこもりで非社会生活のマスタークラスだといって、働く人と同じく生き地獄なのは変わりがない。
アルバイトを私がしていた時も、インターネットを持っていなかったので、いい物を手に入れる為に何時間も電車に乗って買出しに行ったりした。何が言いたいのかというと、今住んでいる地域に何の興味もない。しかし、この場所から出られない八方塞の人生。
ひきこもっていても、無限に社会生活が営める。私にはお金も時間もないので何も試せない懐事情だが、大学の通信課程を卒業することに社会的意味があるのなら、それもいいだろう。どちらにしろ、外出しなければならないのだが、外出が困難なひきこもりの方もいるだろう。
私自身は、興味があることならどこでも出かけたい。都市部に住んでいれば、無料ストアイベントや映画の試写会など、興味をそそられるのだが、何せ閉塞的な地域社会に在住しているので、いかなるの外出への誘惑がない。だが、近所の生活習慣は、マーキングするかのように、うろうろ手持ち無沙汰に近くをうろついている。
皆さんも、ソンビのように歩道を占拠して横並びで、夕食後の時間帯散歩する主婦連中を見かけたことがあるかもしれない。これのもっと悪化したバージョンで、見知った近所をゾンビのように散歩する以外に娯楽のないような連中が集団圧力を掛けてくる。あの人誰?どこどこの人だ、と言われる。私はなぜ近所を執拗に往復するような散歩をしているのか知りたい。
とにかく、家で可能なことはたくさんある。漫画が好きで漫画が描ければ、同人電子書籍販売サイトで売ることもできる。こんなことは外では出来ない。同人漫画はハードルが高くても、ある程度のパソコン環境さえあれば、知識なく稼げるRMTというインターネットで稼ぐ手段もある。
とにかく、働いていようがいまいが、近所と生活習慣が合わない私のような人は社会に一定数いる。友達を作ることを避け、家で持て得る時間のすべてを趣味に当てたい。かとおもった塀もない場所の真横で、日曜大工的なことをしつこくやっていたり、他人の飼い犬の鳴き声が過剰だったり、やられて、どうにも集中力を保てなくなって生活が破綻した私のような人種。
私は世界が何で出来ているのか分からなくなった。文化は所詮卒業すべき思春期のはしかなのか?私が文章を書いていても仕方がない、私はプログラミングを学ぶべきだ。しかし、私は文化が好きだ。24時間ぶっ続けでアニメや海外ドラマを観る習慣について誰にも何も意見されたくない。
ひきこもりでなくなったにしろ、どちらにしろ、昼間から若い者が家に篭りやがって邪魔なんだよ!と、近所からは見られるし、その該当の自分の家族にも外出を強要している。だから、家から行き場を失い追い出された人間の行き着く場所である、スロットマシーンが田舎では人気がある。外観はアミューズメントパークに似ているものや、ゲーセンそのもののデザインの建物もある。