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キャノン先生トばしすぎ

アメリはスパイ映画と同列な見方もできるから、アメリはスパイ映画だと定義付けし言い切ることもできる。ただ、文学的なスパイ映画だ。文学とは人間の内面を描く物語と私は信じている。

諸事情から人生経験に乏しい内気な少女時代を送った成人女性が主人公の映画だ。アメリは対人関係において奥手だが、それイコール頭が悪いわけではない。内気ながら非常に賢い女性なので、数少ない人間関係を守るためや今は結びつきのない人ととうにか知り合いになるためにや見知らぬ人や知人の望みを密かな願いを叶えるために作戦を練ることを日常的に仕事としている。

その様は少女の豊かな内面世界を余す所なく映像化している映画作品だと読み取れる。と同時に、CIA工作員や特殊軍事部隊ばりの作戦行動を日常的に取っている。

なぜ5年以上も前に見た映画を脈絡なく思い返したようにいくらかの熱を持って語りだしたかというと、もう昨日になってしまったが、昨日初めて知った2作品がこの映画『アメリ』と似た雰囲気を持っていると考えたからだ。

season1のファイナルは迎えたようだが現在アメリカで放映中のドラマ『Pushing Daisies』と、いわゆるエロ漫画と言われている成人向けコミック、ゴージャス宝田『キャノン先生トばしすぎ』についてフランス映画『アメリ』に似ていると感じた。

前者はプラトニック・ラブが隠しテーマとなっている。後者は真逆かつ少女性愛モノのエロ漫画で不道徳かつ不謹慎極まりないが、私的には冨樫義博のHUNTER×HUNTERやレベルE並に感動したし泣けたし、私的には冨樫義博とゴージャス宝田を並べて同じ漫画家として賞賛したい。私は大量にエロ漫画を読むが、まれにその中には感動する作品というより作家がいる。

ゴージャス宝田『キャノン先生トばしすぎ』はビジュアル的に一見不謹慎極まりない絵だから万人におすすめはできない。この物語は主に30男と12歳の少女のセックスと恋愛が描かれている。私が仮に30男だとして、12歳の少女のセックスと恋愛がありえるかといえば、絶対にありえない。

もし、その12歳の少女に性的にはっきりと誘われたとしても、また別のタイプの誘い方で、熱烈に好きだと執拗に長期間言われても、絶対にありえない。なぜかと言えば、こういった少女は性的に虐待されていて逃げ場を必死に探っていて自分を絶対的に安心できる人物だとプロファイリングされターゲットにされているからだと考えるからだ。そういった精神的修羅場の一部に加担したくないからだ。

だが、物語的に考えて、現実的に12歳の少女のセックスと恋愛がありえるとしたらどういう設定が現実的に存在するだろうか。海外ドラマでよく描かれているテーマだが、IQが異常に高い少年少女でかつ大学を早々卒業し働く実年齢は小学生的なものもある。こういう物語もある、人を操る能力が異常に高い飛び級天才児というのも観た。だが、通常描かれている高いIQを持つ飛び級天才児は、頭でっかちなわりにソーシャルスキルが低い。

話を戻して、この漫画は働く実年齢は小学生の職場恋愛的な物語だが、その職業や職業病がエロマンガというだけのことで、不道徳かつ不謹慎極まりないとレッテル貼りするのは早計で最も愚かな判断だろう。

不謹慎の面で語れば、私は映画をたくさん観て知っているが、酷い気分にさせられる映画をいくつも挙げることができる。観た後に不快感に全面的に晒されるイコール駄作という意味ではない。いい映画だが内容が精神的に酷いという意味だ。それに反して、この作品は恋愛や仕事に対してハッピーで意欲的だが精神的に落ち込み悩む場面も多々描かれていて、つまりは普通の純粋な恋愛物語だ。

このエロマンガと読んで、年齢はおいといて自分も情熱的なセックスと同時に純愛したい、エロマンガ家になりたい、と心底思えて感動しました。ポストモダン文学的だとも思いました。私が考えるポストモダン文学は小説家が主人公の小説と言ったところだろう。

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