アニメに萌える日本人とドラマに萌える欧米人について
面倒でならない。文字を書いても何の意味もない。げんしけん2を観ていると、同人誌を作るスキルがない人間に自分が思えてくる。正直、好んで同人誌や成年コミックを大量に読む。同人誌を読むためにアニメを観ているようなものだ。
そうういった流れで言うと、洋物セックスビデオも大量に観る。海外ドラマも同じく、洋物ポルノビデオを観る前知識で鑑賞するようなものだ。まあ例えを挙げるとするならば、NIP/TUCK マイアミ整形外科医のジュリア・マクナマラの瞳の虹彩の色素の薄さが蛇の瞳に似ているように私は感じるし、性的に魅力的に感じる。
だから、似た瞳と髪の色や長さや年齢をしているアメリカ人女性が出演しているポルノビデオのフリーサンプル動画のWebページをタブブラウザで大量に開いてirvineでダウンロードするのが日課めいている。上記に書いたことすべてはまだまだ延々書けるが、そんなことはどうでもいいことだ。
毎日ブログ日記を書かないと、文字にしておきたい脳内妄想のアウトップットが混線してくる。どこかで糞有名ブログで読んだというか、彼らの常套句だろうが、欧米人は日本人みたいに日記を書かない、日本人はくだらない日記を付けるためにブログを使っている、なんて文化的に社会的に遅れているんだ。
それに対抗して日本人は私小説文化だから仕方がないだろう、と思ったりもしたが、欧米人も日本人と同じ割合で同じことをしているという単純な説明が出来る。そんなこともでうでもいい。DXTER Season2のファイナルエピソードを観たが、今までの総集編のような内容だったことに、少し期待を削がれた。
厳密には総集編ではないが、DEXTER Season2に起こった出来事をすべて清算しましょうという内容、とも違うだろうか、どう言えばいいのか分からないが、嵐の前つまりSeason3に向けての静けさというでもない静かな内容だった。もうクライマックスか?、というような話の盛り上がりふが数話前から起こり終わり、最終話はオマケのような無駄な一話に思えた。
DEXTER Season1も変則的に私には観えた。このドラマは不気味で鑑賞するのが気が重いといった感じで話が始まり、途中からシリアルキラーが同類へのフレンドリーなメッセージを残してきた辺りから殺人界での二強対決のような様相にテーマが変わりかつそのような最終話で物語のテンションが最高潮を迎えた。Season2では先にそ物語のテンションを使い果たした感が見受けられる。
アニメも海外ドラマも二次元だ。劣化したデジタルファイルを観たり、カクカクする実写動画を観た後にアナログ放送のTVを観ると、同じような放送がなされていることに気づく。元放送がたまにカクカクする動画ファイルを再生したパソコンと同じ見え方がする放送があることに気が付いた。スペックの着いていかない再生装置でデジタルファイルを再生し、それをアナログ電波にアウトップットしている番組もあるように見受けられる。
とにかくここで言いたいのは、どんなにクリアな映像であろうと実写動画が三次元に錯覚する審美眼の持ち主は脳がどうかしている。海外ドラマのようなまろやかな映像は絵画の連続フラッシュにしか私には見えない。アナログカメラのファインダーを覗いて連続でシャッターを切る行為が三次元映像ではない。自分が物語りの中で存在していることこそが三次元だ。
とにかく、DEXTERは別格で実用的な作品とは観ていない。何度も作品内で言及されたり小道具として登場するが、登場する女性はバービー人形の着せ替えによるキャラクターの変化といった感じで、私はフィギュアには萌えないのでDEXTERに性的に魅かれる作品ではない。だが、今まで見た中で最高ランクのセックスシーンが描かれている希少で良質な作品だとは評価している。
とにかく、アニメ自体に萌えるのではなく、同人誌でよりよい射精をする為に、前準備として世界観を学ぶのがアニメ鑑賞だ、そんな話を今日は書いた。アニメ好きだけではなく、海外ドラマが好きな人も同じようなものだ、とも書いた。アメリカでは、ハリウッドドラマを観た後に、その作品内登場人物で萌えた人物と似た人物を求めてドライブに出かけ、ストリートに立っている娼婦を車で拾う、というようなことを習慣にしている男性も多いのだろう。