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ひきこもり

成功者や紙一重偉人だとかと一般人との間にどんな意味も私は感じないが、とにかく、『ひきこもり』は特に珍しい人格形成ではない。日本人よりも欧米人の方がこの手の話は何枚もうわてで日本人の敵うところではない。

ザ・スミスのモリッシーもそうだし、マルセル・プルーストもそうだし、セオドア・カジンスキーもそうだ。先進国の人間だけではなく、後進国にも珍しくない。言わば、現代社会から取り残された人たちかつ、非社交的な人間は『ひきこもり』であろう。

ここで日本人が『ひきこもり』として多少の注目を集めている理由は、現代社会から取り残されているが、技術とは密接な関係にある、という点だろう。この二つがコンボとなれば、何らかのマッシブな衝撃力や意味があるのだろう。

元々、なぜ『ひきこもり』という言葉が作られたのかといえば、90年代には一般人の平均より、活発ではないと自分を評価する人間が増えたからだ。ここでは『自閉症』という言葉が好んで使われた。この『わたし、自閉症だから~』などと言う流行語が、自閉症で悩む本人や家族を他人の目が傷つけ始めた。この一般的な誤解を正すために、ここから『ひきこもり』がスタートする。

私の一番好きだった現代小説家の島田雅彦は、この自称自閉症の時代に大学を登校拒否し部屋に閉じ篭る人物が描かれている作品が多くあった。CSI系のドラマには、PCの前から何日も離れなかったせいで心臓に負担が掛かりすぎて死んでしまう不自然死も度々描かれているし、そのネットゲームとは違う意味で社会生活を避け地下室でPCに向かってばかりいる人物もよく登場する。

多毛症が酷くて完全に非社会的に暮らしているがネットだけは利用している人物もフィクションとして描かれているが、こういうタイプの人物も珍しくないだろう。社会に一定の割合で存在するはずだ。レイプ被害から外に出られないかつネットを生活に活用している人物も定番のネタだ。

CSIではあまり観ないが、CSIのような政府系捜査官のハリウッド・ドラマでもう少し品のないドラマでは、トレーラーパークでトレーラーで生活している生活レベル帯の人たちも定番のネタだ。アメリカのトレーラー生活者ほどではないにしろ、日本でもその辺を散歩すれば、住むところがなく車内で生活しているタイプのホームレスを見かけることも珍しくない。

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