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エンターテイメント作品の暗部について

デクスターほどに面白い海外ドラマを観たことがない。というよりも、時代が進むに従い、人類の経験から得られる知識の積み重ねと技術の発展がその時代ごとに見られるということだろう。

例えば、簡単なところで女を男が殴るシーンがメジャーなエンターテイメント作品でも最近はよく見られるようになった。暴力を振るう恋人や夫というのは、男性特有の行為のイメージが強いが、現実には男女同じ比率で存在しているだろう。

昔は、私の知る限りは平手の裏側で女性の口元を悪者が殴る程度の表現が主流だった。むろんのことに、その逆に女性が平手で男性の頬を殴るシーンも定番の映像表現だった。しかし、女性と言えどもこの手の暴力は私は買えない。爪を伸ばしたような女性の手が目の近くで炸裂する、これほど危険と隣り合わせの暴力は遭ってはならないはずだ、いくらエンターテイメント作品といえ。

アドレナリンが出ているだろうから失敗する危険が少ないながらも、だがちょっとしたミスで少し手が滑った程度で視力を失なう危険が大いにある。人の憎しみのタイプとして顔を殴る、というのは心理的にあり得るが、どうも平手打ちイコール失明の危険を心配して、映像や漫画の物語に入り込めない。

しかし、物語から鑑賞者が締め出されようと、脳内補正が働く場合もある。90年代まではドラマや映画内での赤ちゃんの扱いが酷いものがあった。本物を軽く投げたり、赤ん坊の上で重そうな物の受け渡しをしたり、片手で抱いたり抱いたまま走ったり、などの危険行為がよくあった。赤ん坊自身が役者一個人として、演技者として扱われていた。が最近では、そのような場面では、作り物が代用されている。

それで私たちは、映像に対する現実味の輪から排出されるかというと、そんなことはない。安心して、現実の追体験的映像エンターテイメントにのめり込める。私たちは酷いエンターテイメントではない現実で行われた残虐行為が映った映像を不意に観させられる機会が多くなった。人間が残虐行為に晒されている、だが、それはエンターテイメントではないので呆気なく過ぎ去るかもしくはお好みであれば繰り返し観ることが可能だ。

私は日本人が作った酷いセックスビデオをみたことがある。作品名を挙げたりはしないが、これは本当に酷いものだ。事前に紳士的に契約を結び、契約後には人格を蹂躙する。小レーベルが作成していたが販売元はメジャー会社の流通経路で販売され、誰もが簡単に手に入れることの出来る作品だったように思う。内容が酷いものだったので、当然法の裁きを受ける運びとなったようだ。

だが、それ以後には、ハードコアなSM物のビデオは儲かることが分かり、よりハードなSM作品もよく作られているようだ。内容は酷く見える。が、前者の無秩序型ではなく、細部までコントロールされている秩序形への推移が見られる。

この辺でこの話題は止めておくおことにして、とにかく、デクスターは人生の決して避けることのできない暗部を見せてくれる。

デクスターとは違うが、まだ第01話までしか観ていないが、現在放映中の新作アニメ『こどものじかん』もあまり観たくないタイプのエンターテーメント作品でこの先を観るのが物凄く億劫で切り捨てたいが、どうしたものか。

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