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時代の変化について

ジャズっていいな、演奏したい、歌ってみたい、パソコンで曲作りしてみたい、そうばかり思えて成らない。絵をパソコンで書いてみたい。マンガを同じくパソコンで描いたりしてみたい。欲望はあるが形を成す方法を知らない。アイデンティティの拡散を強くそこで覚える。何故、私はパソコンで絵を描き、別のサイトを運営できないのか?時間が足りないのか、能力が足りないのか。どちらにしろ、アイディアを形に成す能力が私は乏しい人間だ。かといって、どんな人間でも資金力や技術力に差があるのも事実である。真実の世界は人に優しくない。限界がある。何でも実現可能な訳が無い。現実の制約が働いている。私はジャズもヒップホップも同等に愛している。だが、現在は90年代ではないし、50年代でもない。現在では、両者共に物資の恩恵が豊かな人間によって独占されている音楽ジャンルだ。

Maiden VoyageやWatermelon Manの作曲者がRockitをヒットさせる。あんなに繊細で洗練されていて複雑な曲を奏でていたのに、ギター型キーボードで野蛮で投げやりかつ雑な短い演奏をする。マイルス・デイビスも同じように時代と共に変化した。初期と後期では全くの別人だ。何故あんなに緻密に音楽に取り組んでいたのに、後期はぐだぐだだ。ビージーズもソフトロックからディスコへジャンル替えだ。何も誰もが真面目に物事を取り組まなくなって行く、そのような時代の変化を言っているのではない。結局は時代を先取りしない、前時代の作法に固執しすぎるとニートが誕生する、と言いたい訳でも無い。時代の変化に着いて行けていない私のような人間は、次世代に命を繋げることなく滅びていけばいい。いつの時代でも、そうやって時代のモードが変化して行った。いつの時代にもニートは存在し、時代の変化に取り残され繋がっていたものは途切れて行くものだ。

しかし、滅びない者たちも多い。電車で数時間じっと座って駅に降り立てば、別世界が広がっている。言語的にもまさしく別世界だ。人間は地域密着型だからだ。半数程度の人間は地域から養分を吸い取り、根を切られることなく深く根を張った植物人間だ。そうやって生活の基盤を築いている。私はどの地域にも、どの家族にも根を下ろしていない。どのようにも自在に動かせる駒だと思われている。私が根を下ろしているのはこのブログだ。現実には存在しない場所に居座っている。複雑な事情で構成された空間を不法占拠しているホームレスとも呼べるであろう。私は技術力が欲しい。私は私の持てる技術力と努力を駆使し、物を作って売りたい。私たち日本に住む者は、学校教育の延長で労働する。公立の義務教育を受けるように、勤労する者たちの集団で構成されているのがこの社会である。義務教育の内で、「ここは自分の居場所ではない」と考えてしまっても技術力に欠ける人材は社会に居場所なんか無い。

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