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キリスト像がグアナバラ湾に両手をひろげている

考えていることがまとまりがない。考えをまとめることが困難だ。私に資金力があれば、マンスリーマンションなどに今すぐにでも引っ越して、思索的に心穏やか心安らかに生活がリビルド可能なような不可能なような。豊かな資金力があれば、ともかく、新生活を始める為に使う目的の、まあでも架空の話は深追いするのは今日は止めにしておこう。何を書こうとしているのか分からない。自動書記で文字が埋まっていれば良しと今日はオールオーケイとしておく。一ブロガーとしての閉塞感打破エントリーだ。漢数字のイチだか伸ばす文字の知識が無いので何と呼べばいいのかとにかく紛らわしいないちぶろがー文字記述は。

最近繰り返し聴いている曲たち。Jane Monheit - Waters Of Marchを聞いていると何か勃起してくるような感覚を覚えるような、Samba Do Aviãoのまあとにあくあれだこれ以上書くのは面倒なので要点を言うと「キリスト像がグアナバラ湾に両手をひろげている」と歌われるところで泣けてきたりする。ヒップホップも音楽を愛する人たちばかりで、なぜみんな聴かず嫌いなのか分からない。音楽好きを自称しているのならば、一度はざぶーんまったりヒップホップに肩まで浸かって見ることをおすすめすめしたいくらいだ。

たばこを最近吸うようになった。今まで一日中眠かったのが、あああああ、書くのが面倒になったので止めよう。とにかく、たばこは宗教的国家間の対立によりアヘン供給地を失ったスペインがアヘンの新たな供給地を探しに航海に出たキリスト教徒コロンブスが発見したアヘンに代わる嗜好品だ。新たなマーケットの発見でもあった。そう聞いて私はたばこを吸うようになった。この缶ジュースと同じくらいに手軽に販売機で手に入る葉っぱは歴史の産物なんだなと感慨深いから吸っている。海外ドラマ『Huff』やアニメ『あさっての方向。』で愛煙されているから試しにマルボロを感慨深げに吸ってみたりもした。意識して観た限りでは、一つの映画でも文芸映画とでもいうのか?な映画でマルボロを吸うのを観た。フランス映画で。60年代のゴダール映画でも、女「アメリカたばこある?」男「いま切らしている、フランスたばこなら今持っている」女「ならいらない。アメリカたばこが吸いたい。」などのそんな会話があった。

話がぐだぐだだろう?今日はそんな書き手だ。自分に開放を許そう。自分に許しを与えよう。そのうちに、こんな2つの話題のエントリーを書きたい。

日本人の客観的に物事を考えるというのは客観視とはイコール日本人にとって白眼視と同義だ。オブジェクトリーというのは本来は、美術用語であるオブジェを鑑賞するように、対象を立体物として様々な角度で眺めてみる視点のことなのではなかろうか?利害関係や敵対関係を持ち込み、対象を客体として例えば月を眺めるように一面から別の面を想像するのは「客観的に物事を考える」というのとは違い、違う文化で生まれ育った他人を白眼視していることであろう。

日本人が誤用していると私が感じているもう一つの話題は、自分を中心に世界が回っているや自意識過剰であろう。こちらも裏を取っていないが、たぶんfull of yourselfであろう。何でも自分と他人の起こした行動について関連があるなしを四六時中考えているのが、本来の意味での自意識過剰であろう。日本人が自意識過剰という時、自信過剰について話している場合もあり、それが自意識過剰の明のパートだとすると、暗のパートは考えすぎの一言で一蹴したい場合、他人を自意識過剰と揶揄し、レッテル貼りをしたがるのがはてなダイアラーのような気質の日本人だ。full of yourselfは、他人は他人の都合で動いているのであなたとその他の人たちはあなたと無関係で完全に偶然で無意識のの行動だ、特定個人に働きかけない限り、あなたと他人は無関係な存在で、全くそれぞれのルールやシステムで行動しているから、あなたの想像を超えた存在である。

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