私の存在は社会の死角にあるおぞましい場所にある。
ひきこもりを抱え込んでしまった家庭の社会的な地位やレベルとも呼ぶべきものに差異があるだろう。私の両親ともアイデンティティを確立しているようなタイプではない。特に父親は気違いじみている。親しい人物が何らかの拍子に出来ると、その好意を持った人物の話し方を真似たりしている。お前は何歳だ?と殺意がその瞬間突発的にその話し方を不意に耳にしたとたんに湧いたりもした。こういう厄介な輩に執拗な教育を施されて育てられて、混乱してしまった人物はどんな将来が約束されているというのだ?誰か教えてくれよ?
私に就職しろと命令されてしまうのならば、製造業で契約社員という道しかないのだろう。私は職を得なければ生きて行けない。長い時間を掛け、背水の陣を私は自分に施し、創造したのだ。背水の陣を楽しまなければならない。とにかく、ネット上及び現実で、あれこれ指図を受けるのは絶対的にご免だ。何ならあなたと同じ会社、同じ地位とは言わないが、頑張ればいつか同じ地位が与えられると約束されているのなら、喜んで働く。かつ、私はそのあなたにターゲットを絞って、丹念に根回しし大小様々な災厄があなたのその身に降り掛かることを心より願う者が私という人物である。そんなニートひきこもり無職高年齢だ。
とにかくも、地域社会に根を深く差すことこそ、すなわち社会復帰なのだ。そして、ニートひきこもりは年齢を重ねるにしたがい、社会から完全に姿が見えなくなる。私が真の意味で透明人間なのだ。私が世に言う透明人間だ。私には能力が無い。私の無能さをあなたの会社で雇用して再発見してみてはどうか?家では、完全にイライラしていて眠れもしない。ましてや、何かを覚えろと言われても、この住居では何も頭に入らない。家に新しく学んでおくべきマニュアルか何かを持ち帰ることも、家で充分に睡眠を取って会社に持ち帰ることも、両方不可能だ。その両方は再び長い無職期間を経たことで可能になっているのか?
これらの多々ある疑問を常に誰かに詰問したい気持ちでやっとのことで生存している。自虐的に自分を罵倒するよりも、他人を罵倒した方が、バリエーション的に豊かな言語生活が送れそうな気がしているからだ。言語的に、それから導かれる私の人物像的にも、乏しいブログだと自己認識している。私は豊かでは無い。私は豊かではなく過剰の側にいるものと思っている。すなわち富ではなく貧の側にいるということだ。