ネットカフェ生活者とニートひきこもりとについて少し
もう書くことすら見つからない。この2曲を特に好んで聴き続けている12月を過した。どうも自分の時間が1日の内に見つけることが出来ない。単純に私個人の能力不足なのか、他のブロガーより生活環境が劣っているせいなのか、どちらなのか明確にしたい欲望が常にあるが、とにかく自分の時間が常に奪われている。少し休ませてくれ。少し休みながらブログ・エントリーを生成できないものか?
携帯とネットカフェを生活の中心と据えたタイプのホームレスの存在がマスコミなどに認識されだしたようだが、インターネットを生活の中心に据えているだけの私のような者は永劫前者の身分に成れそうも無い。まずパソコンが身軽な生活に無駄に重い。それに、私はコミュニケーション・ツールであるケータイなんかに自分の大切なお金をつぎ込む余裕が無い。そんな発想も微塵も湧かない。私より前者は身分が上の連中の選ぶ生活形態だ、と私は脳内で決め付けに掛かっている。
どのような選択をしたら、ではなくて、流れに押し込められた結果の最終形態だと、2者について思いたい。ただ、私はコミュニケーション・ツールやネットカフェ及びそれらに関連する手軽に携帯できる身分証明書の取得にお金を払うような生活形態を目指さなかった結果がこの「穀潰し」か。昔から穀潰しは珍しくない。虚構の世界での提示になるが、映画『座頭市』にも私のような訳の分からない輩の生活が存在する。武士気取りで兜だけを被って手に竹槍を持って奇声を上げながら近所を走り回っているが世の中には寛容の目で見られている人物だ。違いを言えば、私たちニートひきこもりは現在の社会及び地域社会からは絶対的に白眼視されているが。
田舎は夜中中電気が点いているというだけで目を付けられ監視対象にされる地域社会だ。児童虐待や家庭内暴力やドメスティック・バイオレンスなどを予防したいがために、このように過干渉になっているのだろう。傍観者にならないために。