眠気をある程度コントロールしたくなった。
毎日文章を残そうと自分を精神的に脅迫しているのだが機能していない。眠いからもう眠りたい。もう少しの時間だけ、現実の世界に踏ん張って、眠りの底へ落ちないように踏ん張ろう。とにかく、軽くだが魅惑的に眠い。眠りたい横になりたい。世界が私には分からない。ブロゴスフィアの意味も分からない。分からないから私はただ日記を書くだけなのだろう。しかも、ルーズな生活習慣のルーザーらしく、72時間サイクルでブログを書いているような状況だ。エントリーを毎日一ページは作成しようと、精神的に脅迫しているのだが、結局は魅惑的な眠りの方に転んでいく。寝た方が精神的に気が楽だし気持ちがいい。
とにかく、眠い。細切れに眠くなる体質で困っている。無駄な作業に熱中して、時間を使い果たし、そのまま眠くなる。そんな人生だ。とにかく、もう寝たい。
とにかく、眠気をある程度コントロールしたくなった。無水カフェイン錠かドリンクかでも買おうかと計画している。結局は、人生は薬で補助的にだが強力にコントロールするのが正しいのではなかろうか?まあでも、それは無水カフェイン剤で眠気が強力に抑えられるかに掛かっている。カフェイン、コーヒーにはカフェインが入っていると思うが、コーヒーを飲んで眠れなくなった経験がある。それに対して、コーヒーを飲んで気分が整えられ、眠くなった経験もある。どちらも、寝なければ明日体力が続かないだろうという日の寝なければならない時刻リミットでの経験だ。誤ってコーヒーを飲んでしまい意識が高ぶり神経が過度に緊張して決して寝付けない。それに対して、気分が落ち込んでいたからか、通常の精神状態では神経が緊張した状態が持続するものを、相殺される効果があったのか神経的状態がコーヒーを飲むことで整った時もある。
とにかく、無水カフェインを買って見なければ分からない。本当に眠気をコントロールできるのだろうか?つまり、本格的に寝る体内時刻になったならば、カフェインを摂取しようが、眠くなるだろう。つまりは、最悪の事態として、精神的に高ぶったままながら、眠気はあるが眠れない神経状態に陥る可能性を経験から否定できない。なぜにこうも、精神の活動というものはコントロールするのが難しいのだろうか。神経が最高潮に高ぶり緊張しても、それは集中力がある状態ではない。緊張しているというのは、精神的に追い詰められ、360度の全ての方角の何処からか敵が襲ってくる可能性がある、つまり何処で何が起こるか分からないから全ての事象が気に掛かり気に障る精神状態に嵌り込む事態となる。一つの事に集中することが不可能になってしまう。神経的は緊張状態にあり、精神的には注意力が散漫で集中していない状態に同時にある。とにかく、集中力を得ると同時に疲れや倦怠感を取り除く為に、無水カフェイン剤が有効なのだろうか?自分で試してみる以外に知る方法が無い。コスト、つまり金銭面で懐が痛む。無職無生産の毎日かつ、この眠気から来る深く重い倦怠感から来る精神的疲労の毎日の積み重なり。眠気が完全に取り除ければ、疲労も倦怠感も完全に引く。そんな日が続かないと、疲れが溜まっていく一方だ。外的要因も多々あるが、それはともかく、内部のリズムを整える流れを作っていくことも重要だ。他人からニートは怠惰だから生活習慣だけでも手始めに整えましょうと言われたら、怒りを爆発させても構わない。他人の責任を追及しつつも、それと同時に例えば心理学的に自分の怒りの根源を内的に追求する内面的事情は、同時進行しつつも、それらは別の次元の問題であるからだ。とにかく、他人を良く知り、自分を良く把握する。相性の良さ、政治的力量の相手との差を量る。
最近は自分がどんな文章を書いているのか自分で把握出来ていない。乾いた咳がなかなか治らなく尾を引きずってくる。この腐れ縁を断ち切りたいのだが。微熱が出て風邪を引いた。その数日後熱が引き体調も整ったが、たぶんは気管支の炎症が引かない。気管支が風邪が発端で荒れたまま治らない。乾いた咳が引かない。ストレスを感じると特に咳が止まらなく出てくる。チック症状という訳ではない。精神的に及び体力的に余裕がある時は、脳内快楽物質を出して、炎症による痛みを感じなくしているのだろう。意識的に咳を抑えているつもりではあるが、体内リズムで睡眠時間になれば、体力の限界から咳が抑えられなくなる。今もこれを書いていて、咳を抑えることが出来ていない。乾いた咳を連発するとチックっぽいから気分を鎮めてリラックスしようと強く意識して咳を押さえ込むのだが、疲れてきたら気分を落ち着かせるコントロールが利かなくなる。喉がいがらっぽい。疲れた。精神的な疲労が溜まってく一方の雪だるま式借金人生。雪だるま式借金人生の疲労を清算可能なのか?年末には何とか一年の災厄を清算せねばという思い込みが頭から離れなくなる。クソみたいに負けている。無職でありながら、負けるが勝ちという勝ちもあるさ、とは決して言えない。私の人生に明るい側面があるのか?どこかの側面に光が当たっているのか?死ねるものなら死にたいが、自分の肉体に対する憎しみが無いので、自殺という人生の諸問題の切腹伝統的円満解決法を行う気持ちにも脅迫衝動にも至る気配も無い。