筒井康隆は文学ではない
毎日くそみたいにジャズを聴きまくっているけれど、なぜに私自身は楽器と無縁なんだくそがと思えて成らない。こんなに時間がたっぷりあるのに、いかなる楽器も成し得ない。時間はたっぷりあるが、いかなる資金も存在していないということにすぎないが。私は低学歴で何の高等教育も受けていないし、受けさせても貰えない。くそみたいな両親の世代は、くそ社員教育にくそ時間も労力も資金力も割けたくそ世代だが、私には何の恩恵も回ってこない。ある種、などとなんかで生易しく表現できる抽象的なものなんかではなく、確実に、勝ち逃げ世代だ。
社員教育に時間が割けた時代というのは、リストラという概念が経済構造の重要なキーワード及び、転換期だった時代のことだ。とにかく、何のくそ低学歴で、長年勤めているという意味では会社に有用だが、上のポストに登用するには材料が弱いとされている、だから、社員教育に力を入れ、人材を大切にした時代のことだ。それは微笑ましい光景なのだろうが、ギャップを感じさせられる側にもなれや!と以外に考えることが不可能だ。結局は、低学歴は低学歴しか生まない。
他に書くことも無い。『Lost』と『Prison Break』を鑑賞する以外に人生の楽しみが無い。人生は楽しまなければ成らないと、脅迫状態に陥っている訳ではない。くそみたいな家系に産まれたせいで、人的な被害を受けている。『Lost』と『Prison Break』いつ高度に小汚い服装や生活習慣が再現されている映像は、最高に美しく私の目には映る。タイトルは忘れたが、90年代のロビン・ウィリアムズ主演の一連の映画もくそみたいにうそ臭いが、ここで取り上げるのは、その問題の90年代のロビン・ウィリアムズ主演のナチスによるユダヤ人迫害の映画だ。先に書いたようにタイトルは忘れた。あの映画は、今の時代に見直すと、舞台装置が安っぽい。舞台セットだ!というのが丸分かりで無能映画だ。それの真逆に位置するのは、ロマン・ポランスキー監督の戦場の『戦場のピアニスト』だ。だが、『Prison Break』もSeason2に入ったとたんにクソになりつつある。出演料が高そうな映画の世界で有名な出演者が、Season2に入ったとたんに死んでいく。それに加え、話の本筋を見失わないように、小物俳優もリストラしている。『Lost』のSeason3は完璧だ。最高のエンターテイメントだ。『Prison Break』と違って、資金力も出資者の理解力も遥かに上なのだろう。『Lost』Season3は、「スティーブン・キングは文学ではない」という始まり方をする。日本で言えば、「筒井康隆は文学ではない」と言ったところだろう。
Lost Season3 第01話はこの曲を掛けるシーンから始まる。YouTubeにあったので追記。