アウトプットする機会がない
睡眠が足りていないながらの寝起きで書いているが、機嫌が良くない。眠いのに頻尿で何度も目を覚まさせられる。この頻尿状態は、子供のときは起きることができずに夜尿症となっていた。たぶん中学生になっても夜尿症が治らなかったと思う。正確なことまでは覚えていないが。とにかく、睡眠が深く取れた時は、起きると両腕の力が怖いくらいに抜けている。今も軽くそうだ。力が抜けている。私は筆圧がもの凄く強い方だ。より正確には、筆圧を強くやってしまう。パソコンのキーボード操作も必要以上に強く押してしまっている。その反動から睡眠からの覚醒時に腕の力が身体の芯から抜けるのだろうか?
酒の残りが後2リットル分しか残っていないから人生が不安だ。私たちは依存して生きていかなければならない。もしくは、依存していると誰かに指摘されないために、巧妙に、隠れてか、もしくは、代表的な依存症状をいくつかの依存症に分散させて、依存して生きなければらならない。それに、依存しているものが社会的なものにであれば、それはもうただただ世間的にみれば、立派な社会人である。が、そんなタイプの依存症型の立派な社会は、その過剰さゆえに誰かに皺寄せがいくのだ。
私はどう生き延びればいいのか?アウトプットする機会くらいは、私に与えられていてもいいのではないか?何のアウトプットする場もない。ただの一つもアウトプットする場がない。
とにかく、この半覚醒状態はやっかいだ。酷い時には一日中、より酷い時には何週間も半覚醒状態に起きている間も晒される。
とにかく、生きているのが辛い。何のチャンスも与えられていないからだ。チャンスは掴み取るものだ!という反論は受付られない。信じがたい反論だ。私たちには既にチャンスが与えられている状態にある。私に与えられたチャンスと、あなたに与えられたチャンスは、一律のものではないのだ。皆が同じチャンスを同じように与えられているわけがない。社会には一定の席がある。その椅子取りゲームの勝者が勝ち組で、社会に一定に存在する椅子から零れ落ちた者たちが、負け組みだ。私はギャンブルをしているわけではないのだから、このギャンブル的な定番の表現である『勝ち組』や『負け組み』という表現が気に食わないが、『負け組み』の位置に実感して存在している者としては、やはり『負け組み』の分類の上に位置していることに対しての実感がある。これはギャンブルではない。『負け組み』は他の競争相手がみんなゴールした後に、これは競争なんだとやっと気づいた者の悪足掻きだ。みっともなくも、ばたばた悪足掻きする権限しか得られない負け組みなのだ。糞みたいに負けている。糞みたいに勝てない。糞みたいにアウトプットする機会が用意周到に奪われている。