子供を過保護に育てるのが最優先事項の社会信条
言葉を書くのが面倒でしようがない。私なんか無能力だ。ブログを書く回数すら減ってきている。何もかもが面倒だ。何らかの見返りがあればいいのだが、明らかに泥沼だ。泥沼に浸ることが気持ちよければ、ずぶずぶ少しずつより深い深みに嵌っていくことも快楽であろう。だが、この泥沼人生はひどくやっかいで、どんどん身動きが取れなくなっていくのだ。とにかく、無能力さをただただ繰り返し思い知らされる。頑張れば頑張るほどに、私の存在が価値の無いものに変換される。とにかく、無闇に頑張る全ての人物は頭が悪い。何事も計画性だ。
記憶が断片化されていて、整合性が計れない。ブログへも断片的な記述しかできない。スピードで反射的に書き進めて、全体を推し量る以外に無い。小川のように流れていくか、波間を漂うしか、言葉の運動性を確保できない。
そう書いてしまったところで、言葉が途切れる……。黙っているか、嘘をついて現状を混乱させる以外に、私に出来ることがないと決定的に思い知らさせる事態に再び精神的に追い詰められる。対等でなく、抑圧的な存在には、全てについての弁明において嘘で自身を防護しなければこの弱い身の上が焼死体的に焼き尽くされかねない。
日本人は訳がわからない。70年代や80年代か?と現在を錯覚させられてしまうような言葉遣いの日本語吹き替え版はどうにかしている。なんであんなものが存在するのか?吹き替え版ほど、悪しき存在はない。日本人は会話的に貧しい。70年代の日本のTVドラマ的言説から、進歩が見られないどころか、死語の存在も理解していない。過去の栄光を引きずるな!そうしきりに思い起こされ、と同時に罵倒したくなる回数が絶えない。
言葉の実験は日本国においては、アニメに道を大きく譲っているのが現状だ。そんな現状で、海外ドラマの吹き替えが成し得ようはずがない。不可能だ。アニメ的な豊かな日本語の土壌をもって、海外ドラマの豊かで洗練された言語との変換が可能とは思えない。日本には大人がいない。学生のドラマやアニメばかりだ。もう学生ごっご遊びはご免だ。日本のどこを見渡しても、学生ごっこや新卒ごっこばかりでうんざりだ。少しでも学生や新卒のレールから脱線してしまえば、大きく人生に挫折させられる社会が日本だ。なんだこれは?なんなんだこの現状は?クソだ。子供を過保護に育てるのが最優先事項の社会信条か?その信条から外れた少数派は、社会から陰湿ないじめの目に苛まれる。生き難い。