精神論ではなく、神経伝達物質論
一日中神経を高ぶらせ、緊張状態が起きている間中付き纏い、かつ神経を鎮めようと横になるも、すぐに叩き起こされる。一日中、耳栓型イヤフォンを耳の穴に突っ込んで、音楽やネットラジオを流しているのに、急に大きな物音や動物の鳴き声がして、心臓をビックリさせられる。とにかく、神経を穏やかに保つ為の必需品、お酒をオンラインショッピングで仕入れた。神経の高ぶりが一日中取れないのも大きな悩みだが、お金の悩みも尽きない。必要な出費としてお酒を買った。25度アルコール分の焼酎4リットル×2。大量生産の安酒で、非常に低価格の物だ。
とにかく、第二次世界大戦以降の世界では、精神論ではなく、神経伝達物質論こそが唯一の有効な論理だ。私のようなトラウマを100パーセント全開な人格は、神経伝達物質こそが和らげたり生産的にさせてくれる。だが、今の私は生産的でもリラックスも成し得ていない。ただ、思いっきり「トラウマ100パーセント全開な人格」に打ち負けずに、打ち勝つには、脳内神経伝達物質の流れを社会的に豊かな行動を取れるように、豊かな流れに変えるべきなのではなかろうか?
お酒を飲めば、それが少量ずつならばある種集中力が保て、ある種の集中力が奪われる。周囲の評価なども含んでもいて及び文字通りの雑音や雑念をお酒で緩和することができ、かつ一つの物事に集中出来る。だが、反対に運動能力が落ちる。インターネット活動においては、タイピング能力が何パーセントかおぼつかなくなる。
イヤフォンとお酒が手放せない。そういう点では、海外ドラマ『ミディアム 霊能者アリソン・デュポア』を観ていて、自分を観ているようでもあった。ただ、アリソン・デュポアと違って、私には何の能力もない。唯一の共通点は、半端なく神経が過敏に反応しているという点で、共感できる。しかし、『ミディアム 霊能者アリソン・デュポア』は、明らかに『女性的な(論理性に欠けた)直感力』を売りにしている女性向けのTVドラマだ。大半の女性が共感できるはず、という物語構造になっている。話が逸れた。
話が逸れたついでに、もう一つの好きな海外ドラマが私にある。『デスパレートな妻たち』だ。私は『デスパレートな妻たち』に過度な対抗心を密かに持っている。私こそが真に『デスパレート』であるのだ。HousewivesごときがDesperateなわけない。私は『デスパレートな無職たち』や『デスパレートなひきこもりたち』や『デスパレートなニートたち』というドラマなき映像なき人生ドラマの出演者であるのだ。私の目で目視できる範疇こそが、『海外ドラマ』の範囲だ。いつも海外ドラマを観ている鑑賞媒体であるモニタの枠外に目を移しても、私は海外ドラマをそこに観ることが出来る。人生の風景のすべてが海外ドラマだ。人生の1秒1秒がドラマ映像だ。瞬きを一つ二つした、瞼の裏側にも、血の通った薄い肉である瞼が透けたの一つ二つ闇にもドラマがある。また、大幅に話が逸れた。
とにかく、『デスパレートな妻たち』では、子供の注意欠陥障害の薬を子供には絶対与えないが、自分の生産性を高める為に自分が飲む小エピソードがある。それが、依存症を引き起こし、最終的には他人の子供の注意欠陥障害の薬を盗む行為にまで及んでしまう。
とにかく、私は生産性を高めたい。鎮静効果のあるハーブティーを飲んだり、お酒を飲んだりして。