私が行う判断の一つ一つがことごとく無能だ
眠い。眠たい。眠気が取れない。何を書いても無駄だと身体で理解してから、ブログを書く意味が分からなくなった。ブログを書いても無駄なのだ。ブログを書くだけでは、自分を売り込むことはできない。そのうちプロバイダー使用量にも困るかもしれない。
とにかく、お酒でもまたオンラインショッピングしようかと思う。昼間は酒を飲まないとひきこもっていられないほど、精神的限界まで追い詰められる。静かな落ち着いた地域に住んでいるのなら、前向きな気持ちにも、静かすぎて自分の耳腔内の音が聞こえる、つまり自分の内面の音に集中せざるを得なくなる。
その地域の公園に行くと、そこに住みたいのか住みたくないのか、判断基準にはならないだろうか?私の住んでいる地域は何処も、公園に行くと、夜中や深夜であっても、公園に向かって飼い犬が吠え掛かっているのを放置している地域ばかりだ。それに反対して、人が密集して住んでいる地域や、古くからの住宅地などは、落ち着いたものだ。人が多く住んでいれば住んでいるほど、私には落ち着いた地域に印象としては思える。そんな地域には住んだことはないが。公園には昔よく行った。
とにかく、昼間が精神的に耐えられない。昼間を過すために酒を飲まなければ生きていけない。まず、住んでいる環境に馴染めないし、家族にも馴染めない。お前は無能だ、キチガイだ、と育てられてきたからだ。私は恋人を持ったことはないが、例えば、過干渉な恋人で説明するのが理解がされやすいだろうと思う。なだめたり、すかしたり、脅したり、ありとあらゆる手を使ったりもする。第三者には、過干渉ではなく過保護なだけなのだとのアピールを欠かさない、そんな偽装工作に長けている。
間違いなく、過保護な生育環境ではない。過保護というのは、育てる意欲の過剰さだ、と私は思う。過干渉というのは、親自身の問題を子供に押し付けるは、支配欲が過剰だは、まず親の精神状態が職場以外常時不安定だは、両親に友達はいないは、友達がいても友達グループの中で最低の地位に甘んじている、それらが過干渉な家庭なのだ。24時間小言や罵声を浴びせられて育って、どう自分を社会的な存在に変えていけばいいのか?
何の判断も私自身でつかない。私が行う判断の一つ一つがことごとく無能だし、私が行う判断の一つ一つがことごとくキチガイさの表れなのだ。人生が永遠に保留されていく。