内的モチベーションと色濃く残る前近代性とについて
私みたいなタイプは、外部からの強制の目に遭えば遭うほど、何もかも放棄してしまう人間だから、内部から沸き起こるモチベーションと社会性が重なり合う部分を模索しなければならない。というよりも、ならなかった。それに、もうその模索の有効期限が切れている。どう生きろというのだ?
貨幣が無ければ誰も生きていけないし、全く貨幣と無縁でも誰からも生命を奪われる権限がないのだから生きていける。
この前近代性が生き残る生育環境というものは何だろう?この無理に近代性に烏合しようと努力しているが、全くその意気込みが機能していなさは何なんだ?現代社会に生きているはずなのに。