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オナニーについてやYouTubeについて。

無職の私の人生及び当ブログには何の価値もないし、アクセス数も一定の範囲を抜け出得ない。一定の需要しかない。需要と供給って英語でどう言うんだっけ?サプライとなんだっけ?どうでもいいか。叫んでるのではなく、酒飲んでる、咲け!

ああ、どうでもいいか。楽しい、今は楽しい。人生今は楽しい。私の人生もこのラベル作曲のボレロのように、だんだんビルドアップしていけばいいのにとか心から願うし望むが、大半の人間が、このようなビルフドアップ、即ち右肩上がりなわけない。昔、ある路線ていうの?電車のやつ。多分、土日のある時間帯、ある区間は、競馬、競艇に行く中年男性で物凄く込む。満員になる。たまたま乗った車両の位置もあるのだろうが、一般人は見なかった。みんなこの現象を避けているのだろう。黙々と、地味な被服の孤独な中年男性が連帯感もなしに、黙々と整然と詰め揃う車内。人生なんてそんなものだ。アルバイトしていた時も、リストラされた中年男性が長年勤めていた。このアルバイトやパートは、まだましな人生なのだろう。家族がいるから、家族の助けも理解もある。前者の孤独な中年男性は、何に救いを求めるのだろう?

ブログをオナニーに例える者が続出するようなブロガーライフであったし、ブロゴスフィアであった。しかし、オナニーは気持ちのいい自己満足の手段なのだろうか?お酒を飲んだ方が気持ちがいい。男性の場合は、精子が勢い良く飛べば飛ぶほど、快楽が強い状態だ。例えば、オナニーの日数を控えて、精液を精巣に溜めておくとする。その溜まった状態から放出をしても、まったく気持ちのいいものではない。小便を極限まで我慢して、やっとすっきり出来た、その程度の快楽だ。性欲の解消と程遠い。最高の排泄欲や排便後の快楽でしかない。女性と男性では、尿道の長さが違うので、射精を尿意に例えても無理があるのだろうが。とにかく、オナニーについて語るにしろ、セックスについて語るにしろ、控えなければならない。どちらにしろ、後ろ向きなものでしかない。人々はどのくらいの割合で、独身男性の性欲が暴走したり、妊娠中絶に至るのか、私には未知の世界であるが、そんな社会の暗黒面を連想させる、性欲についてのテキストを私は読みたくない。

YouTubeに関するテキストも同様に読みたくない。複数の人物のことを言っているが、YouTubeについて書いている人を見かけたためしが無い。YouTubeは著作権を無視している犯罪サイトだ。そんな決め付けばかりを目にした。それに加え、NapsterやWinnyと同列に語る者ばかりだ。YouTubeについて検証しているテキストだとタイトルには銘打っているのに、実質、内容は、NapsterやWinnyについて語っている。そして、NapsterやWinnyだけを分析し、YouTubeについては全く何も書かれていないものばかりだ。YouTubeはダウンロードサイトではない。ストリーミング再生のサイトであり、Webページ及びサイトである。P2Pソフトなんかではないし、皆さんダウンロードしてファイルを持ち帰ることができます、とは公式サイトでは、一言も書かれて無いはずだ。ストリーミング再生が主であるし、コミュニティサイトである。人々をhttp上に呼び集めることのできる、現在他に類を見ない有力なサイトだ。検索エンジンのようなポータルサイトだ。私は、検索エンジンを通してしか、インターネットに触れたことが無い。検索エンジンが無くなれば、どうインターネットに参加していけばいいのか、途方に暮れるだろう。Webサイトにアクセスせず、これからは、P2Pソフトが検索エンジンに成り代わる時代がくるのだろうか?来ないはずだ。まず検索エンジンにアクセスする。検索エンジンから、私たちは世界を見る。httpを私たちはインターネットとして見ている。インターネットを始めようと、初めからFTPソフトから世界を覗く者はいないはずだ。httpブラウザで見る世界の重要さを分かってない。

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