サーバー上に降ろしデーターベースに格納する肩の荷
頭が上手く回転しない。頭の回転が重く鈍い。何もかもが面倒になってきたし、何もかも投げたしたい。まあ、投げ出す前に、風船をイメージすることにしている。両手一杯に空気より軽い気体が詰まった風船を持っている。現時点で私の抱えている問題の数々をイメージで抽象的にかつ具体的に代替物として表現しているのがこの『風船』だ。風船を抱えすぎて視界が狭くなっているから、少しずつ空の方へ解放しよう。視界が広がるほど解放したら、今度は足元に硬貨か紙幣かが落ちていた。それを風船の抵抗なく楽な姿勢で拾いやすいようになるまで、また風船の数々を空に放つ。
どうでもいい妄想物語を即興で作ってみたが面倒なだけだ。物語るだけの体力が無い。指がスムーズに動くほどのテーマ性の強さも何も持ち合わせていないから、心理的な抵抗にあって指が鈍るし、思考にも歯止めが掛かる。そして、自分なんか何の意味も無い人物だという考えにまで、落ち込んでいく。私なんか何の意味も無い。私の仕事なんか何の意味も無い。インターネットにこんなに時間を費やしても、何の意味のあるコンテンツなんかつくりえない。一つ残らず、私の作り上げたWebページの一枚一枚が無意味だ。しかし、無意味さを委託してみている。私が社会にとって無意味な人物及び無価値な人生を送ってきたことを、長々と文字に起こして日記としてインターネット空間に転送している。インターネットは私にとって倉庫のようなものだ。私自身の無能力さを文字で書き連ねて、インターネット公開サーバーに格納し続ける。委託することで、世間的に及び社会的に私の無能力さの証明や証拠になっている。論拠や論証にもなっている。様々な私についての資料を散文という形式で格納している。
このように委託することで確実に肩の荷が降りていくのも確かに実感している。私が否応無く悪い偶然が重なって事件に巻き込まれることがあるとして、その保険の意味もあるテキスト郡だ。そうも考えている。私は保険を掛ける意味もあり、複雑な家系的立場に立たされた者として、肩の荷をサーバーに転送することで心理的負担を格納しようとしている。後は、ブログをやる意味は、もっと泥臭い混濁しているテキストがインターネット社会には必要なのではないか?とも思っている。個人的な強迫性障害的思い込みなんだろうけど。とにかく、私は社会的に今以上に死んでいけばいいと思っている。徐々に社会的に死んでいく過程をブログで記録・証明しようとしている。『私は社会的に何の意味も無い人物だ』そう一言書くくらいでは、どうも他者には実感が湧かないらしいので、リアルな実体をその文字列に持たせてやろうと思っている。