基本的な生活の決定的な欠如について
食事を楽しみたい。空調の利いた蕎麦屋で舌をやけどしそうな私が人生でまだ食べたことのない鴨南そばを食べてみたい。空調なんて野暮なものは利いていなくていいから老舗の蕎麦屋でそばを味わいたい。以前にも書いたが、散歩がてらにふらりと立ち寄った蕎麦屋でもりそばと焼酎の昼食を取りたい。ただ書いているだけで何の意味もない。特にそうしたいわけでもない。そうしたいような気がする、そして、そういった生活習慣こそが生活における食を楽しむ行為なのではなかろうかという想像物語だ。しかし、食べられるものなら、先程も書いたように舌をやけどしそうなほど熱いうな丼などのうなぎのたれがご飯に染みこんだものが食べたい時期だ。
どうでもいい。そんな生活から程遠い。いまは焼酎を飲みながら書いている。酔っているから世界が美しく見える。色彩の配色がきれいだ。こんなにも色は鮮やかで美しいものかとびっくりするくらいに。初めて眼鏡やコンタクトをつけた日の様な素晴らしさ。だが、少し気持ちが悪い。大量生産の安酒だからか、飲んでて味がもう飽きてしまった。味に対する憎々しさから気分が悪い。が、味の悪さを我慢して流し込めば、ほんとうに五臓六腑に染み渡る。五臓六腑に染みていく液体の流れを確かに体感できる。それは小川のせせらぎのような。
今の時間帯は落ち着くが、昼間は耐えられない。これから夏休みだから、もっと耐えられそうにない。昼間を寝てやり過すために夜型の生活に固定したいために、今日は起きていよう。家の中に居てさえ、他人の高いテンションについていけないから恐怖を感じる。静かで落ち着いた場所で安らぎたい。仕事も欲しい。現在の生活では、基本的な生活に耐えるだけで一日目一杯の時間が必要だ。安心できる住環境が先ずは欲しい。職業も欲しいがその前に安心したい。職が得られれば、同時に借金などをしてでも生活して行けるのかもしれない。閉塞した人生が前に進むのかもしれない。何も考えずにどこかの企業や非営利組織に滑り込むことを考えるべきか?どちらにしろ無能力な人間だから今のひきこもり生活があるのだという事実が、私の人生の嘘偽り無い本当の姿だ。