ホームレスもニートもひこもりもサラリーマンも公務員も、表面的には区別がつかない地点
いろいろ変化が多くついていけない感が強くある。私がもっと仕事の出来る人間だったら、と思う。何度も書いているが、私は無能力の極致のキャラクターだから無職ひきこもりニートに至ってしまったのだ。私に能力があれば、インターネットやブログでもっと違った姿でいるはずだ。例えば、各種検索エンジンで1ページ目に載せて貰いたい願望がある。これこそが即ち、私の仕事への評価だと思っている。
明言を避けてばかりで、問題の周辺を熱心に語ることで、その問題中心を浮き彫りにしたいといつも思っているし、ブログの趣旨はまさにそれだ。私はブログを読まれる限りでは、あなたと同じく普通の人間で、あなたとそう変わりないかもしれない。だがそれはありえない。今パソコンの前に、ホームレス的な不潔さと服装でいる。これは、何年も何十年も積み重ねないと成しえない地点である。あなたが一朝一夕で到達可能な地点ではないはずだ。
『ホームレス的』と書いたのは、ホームレスより清潔であるのは間違いないが、ホームレスにも様々な生活習慣の者達が存在するだろうから、『的』と書いた。ホームレス生活で困ることに、凍死しそうな寒さ、身体の清潔、衣服の洗濯、の三つが大問題だ。その他は、何とかなるのは何とかなるのかもしれない。何ともならない時もあるに違いない。だが、例えば、大学生などの学生であったとしても、誰でも簡単にホームレスになることができる。
(話がどんどん本筋と違う方へ逸れていく感があるが、話が膨らみすぎてまとまらなかったら、まとまらなかった時で、失敗したエントリーでブログ更新すればいいだけの話だ。)
『オレはホームレスだ』とその辺りに座った瞬間から、誰でもホームレス体験が出来る。誰もが、その内面に抱える問題の人生と生活における重大さの質量が、重い軽いと当人によってバリエーションはあるだろうが、誰もが初日は同じようなものであるはずだ。『オレはホームレスだ』とその辺りに座った瞬間から、あなたはホームレスだ。少し強引な話の流れにするが、それと同じことで、その瞬間から『ひきこもり』や『ニート』であるとそんな諦念と心中する瞬間が同じく『初日』としてあるはずだ。ただ、ホームレスと違う点は、他者から干渉され方が、言語的か非言語的かの大きな違いがある。
『ひきこもり』や『ニート』は言語で責め立てられる。それに対して、消極的にでも積極的にでもレスポンスを返す責任があるかのような雰囲気の罠に嵌められる。詐欺や誘導尋問の目に常に遭う。
話を戻すが、私はなんの能力もない。能力がないから、社会から脱落していくのだ。私がもっと若ければ、もっとがむしゃらになれ、チャンスが掴めたかもしれない。だが、年齢が若い時は、今以上に責め立てられた。精神的に疲れて、人生に前向きになれなかった。ここで『運動したらどうか?』という人がいる。私はまず運動にいい記憶がない。運動するより文化活動に熱意を注いではどうか?と思う。ハリウッド映画などを観る限り、運動は日本人的な精神論や根性物語の側にはなく、文化活動であるし、伝統を背負って活動している。
精神が疲れ、身体も疲れ、かつブチ切れそうになった経験がない人物を、私は想像できない。マンガ『レベルE』をいまここで正確に引用できないが、『3日眠らなくても疲れない』アイテムの存在が描かれる。精神とはそのように果てしないものだ。私がドラッグをやった経験があると言っているのではない。思い悩んで眠ることができず、かつ体力的に疲れ、どうしようもない状態に陥った人生経験がある、と言っているのだ。精神的に安らぎがないと、精神を休めることはできない。身体的に疲れた程度の疲れで、精神活動が収まるとは体験から思えない。
精神的な活動が収まる瞬間は、挫折か成功か、どちらかしかない。私のブログが、成功するか、挫折するか、のどちらかの壁にぶつからなければ、私は止まらない。検索エンジンで、『ひきこもり』や『ニート』のキーワードで、当ブログがまずは、1ページ目、次に検索ワード一位に。そういう結果が出たときに、私は何らかの活動が成しえた、と安らぎ、よく眠るだろう。成しえない場合は、自虐的な日記をアップロードしまくって、自滅的に破綻する、以外にない。その2つのどちらかしか、『ひきこもりブログ』や『ニートブログ』は望んでいない。
第3の選択肢も予め用意されてもいる。長年続ける、というのがどういう意味か知っている人物がそうだ。ホームレスもニートもひこもりもサラリーマンも公務員も、表面的には区別がつかない地点だ。私は地味にかつ地道にやっていくつもりだ。つもりでもいる。