映画『ホテル・ルワンダ』について
カンニングしないで記憶だけを頼りに映画『ホテル・ルワンダ』について今から即興で書いてみます。よく読んではいないのだが、映画『ホテル・ルワンダ』について書かれているブログエントリーを読んで腹が立ったせいで、その腹立ちを何とか形にしてみる。
個人的なことを言うと頭が働かない。ぼーっと連日時間が過ぎ去っている感があるし、その事実に対して焦燥感が強い。パソコンのモニタの光に過敏になっていてモニタを見ると頭痛と吐き気がある。
映画『ホテル・ルワンダ』はフランス人が好きそうな映画だ。まず映画の冒頭で『クラス』についての会話から始まったように思う。随分前に観た映画なんで正確な記述が成されない場合が多々あるかもしれないが、とにかく私の映画『ホテル・ルワンダ』についての感想を読んで欲しい。
まず『クラス』についての会話から始まる(ような気がした)。クラスとは階級や役割のようなことを言っているのだろう。日本語に翻訳するとすると、どんな語彙が適確なのかは分からない。『クラスとは最高級の嗜好品を楽しむ心だ』そんな趣旨の会話が成される。その会話群が一区切りするところで、運転(配達中だった)していた車を止めさせられる。
フツとツチは何故対立しているのか?しかも、一方的である。武装していない無抵抗な住人が大量に虐殺される。フツ族とツチ族は何故対立しているのか?何故部族の全ての人間を虐殺を実行するほどの深い恨みがあるのか?ベルギーの占領下にある時代に受けた民族的屈辱が原因であると一言程度言及される場面がある。ベルギーの植民地時代に何があったのか?
一言二言このように言及される場面がある。ツチ族はホテル総支配人である主人公の妻を見て分かるように、外見が西欧風の顔立ちをしている。鼻が高くて目も唇もきれいだ。対してその夫であるフツ族の顔立ちは外見的に、目が丸くて鼻が低く唇もぶ厚い。ベルギーの植民地時代に外見的な理由でツチ族はフツ族の上位の地位が与えられた。
そういった背景もあり、社会が未整備な地域ということもあり、政治力を求める動きが激化した結果、フツによるツチの虐殺事件が勃発する。『ホテル・ルワンダ』に強引に攻め入らないのは西欧近代を象徴する意味のある記号だから、明確な思想および話の筋を通さなければ強引に入り込めない領域であるのを皆が本能で知っているからである。それに加え、以前の支配階級のような扱いが現在のホテルでは成されていないからでもある。総支配人はフツ族の出身者だからだ。これがもしツチ族だったら『ホテル・ルワンダ』はどうなっているか想像がつかない事態に成っているはずだ。
西欧近代の光と陰の映画だ。嗜好品を楽しみ文化を楽しむとはどういうことなのか?それを映像で魅せる映像美の映画だ。完全に、ノーブレスオブリージュの映画だ、と一言で断言することが可能だ。文化を楽しむのが社会である、という映画だ。成金根性からではなく、ノーブレスオブリージュとして文化を楽しむ。誰も、純粋で純潔な過激な武装集団が統治する国なんかに住みたくないし、そんな国に成ることは、例えば孤立無援で窮地に立たされている腕力のない一人の男に過ぎなくても、八方手を尽くして絶対的に避けなければならない。西欧近代とそれに相対する概念の、両者の闘いに終わりはない。今後も様々な地域や場所で起こり得る。西欧近代諸国や様々な国々から武器が流れてくるからでもある。世界が武力を最新鋭のものへ旧型のものから新型のものへ革新するサイクルを無視できない。貧しい国へ流れていくからだ。物品がお下がりであるかのように貧しい国へ中古品が流れていく。
書いてて捨てたくなったが、もうどうでもいい捨て鉢でエントリーをエントリーすることにする。