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他人を一ミリも信用できないという身分階級

運動不足のせいか、体が急激に熱くなる時があるから困っている。ブログアレルギーとも言える。ブログを書こうとテキスト・エディタに向かいしばらくすると、体温が急激に上昇し、同時に皮膚が異常に痒くなる。ここ最近それが原因で何も書けないでいる。

エネルギーが有り余っているみたいで、チャンスがあるとぶわーっと脂肪などを燃焼させる新陳代謝か身体機能か生理機能か生体リズムだかが起こる。その度に肌が痒くなる。暑くてたまらないが、まだまだ外は寒い。一定の室温で快適に落ち着いて生活できないものか、と腹立たしく思っている。寒いか暑いかの室温しかない。中間の落ち着いた感じを求めているのに。

やはり土地の値段で、その地域のごとの生活レベルのグループがあり、所得や職業で棲み分けがあるのだろうか。田舎は良くない。まず、ひきこもりやニートは部屋の窓を開けられない。部屋の窓どころか、最近判明したのは、光の変化にも隣家の監視の目があるということだ。窓を開けられないどころか、光の変化にも気を使う必要が出てきた。夜は電気を点けない。戸を開けたら直ぐ閉める。光の明暗が変化して私の動向を探っているようだからだ。

「光の変化」「光の明暗」など抽象的な説明しか出来ないので、妄想的だと他者から思われそうだが、具体的に書けないのが残念だが、事実なのだからしょうがない。他人の生活を覗いているのが田舎というものだ。この事実は覆らない。被害妄想でもなんでもない。糞専業主婦の糞世帯とうちの生活環境は違うんだから、ほっとけよ!と怒鳴り込みたい。が、そこまではしない。無職だから怒りっぽくなっているのは分かっているし、無職だという負い目があるからだ。

とにかく腹が立ってしかたがない。何かを学べる環境ではない。私だって今すぐにでもWeb2.0になりたい。成れるものなら成りたいのだ。時間がたっぷりあるからだ。時間があればWeb2.0に成れそうな気がする。そう焦りはするが、結局は成れはしない。猜疑心だけが私の生活の100%を占めているからだ。猜疑心まみれで仕方がない。

猜疑心まみれの話は長くなる。八方の以上の箇所の隣家や隣接していなくても目視できる位置にある家々や住んでいる区画全体や、とにかく私の生活を監視している。事細かに監視しているというより、そいつらは馬鹿だからそいつらの馬鹿論理で私を監視し私の情報を馬鹿みたいに集めている。何から何まで知っているというわけではない。暇そうに昼間歩きやがって無職が!というような情報を集めている。情報はこの場合「暇そうに昼間歩きいていた」というところで、近所で噂話として流通していくことになる。だから外に完全に出ないようになった。

とにかく話がずれまくって収拾がつかないが、いくつかの論点がここにある。自分でもよくわからないが、一番言いたかった点は、「日本にも身分格差はある」という点であるだろう。そしてなぜ、この「日本にも身分格差は」しっかりあるのに、なぜ頑張れば何でも可能だという言説が日本では人気があるのだろうか?貰っている所得がそんなに大差ないからかもしれない。しかし、貧乏人はお金の接し方に明らかに問題があるだろう。すなわち、お金と人脈と情報を上手く使えない者と上手く使える者との間に埋め難い格差があるのは日本においても明確にあるだろう。バリエーションがあり単一ではないが、私の育った家庭は、夕食後にかならず、論旨は「誰のおかげで飯が食えていると思っているんだ!」と喚き散らすような生育環境で育った。それからこじれて現在の私がある。どんな手段を使っても言うことを聞かせるという生育環境で、私はどんな手を使っても人の言うことを聞かない人間に育っている。他人をまったく信用できないのだ。これが困りものだ。そして先に書いた「近所が一挙手一投足を監視していて腹が立つ」という話が関係してくる。これは普通の人にはなんとか耐えられることなのかもしれないが、私には一ミリ足りとも許しがたい。

これも書きたかった。長々文章を心の赴くまま自由に書くのを私は良しとしている姿勢を取っている。これはまた次に機会があったらにしようか。とにかく、最近はそれが上手く機能していない。コントロールが上手く取れていないのだ。暴走破綻列車のごとく、最後には私が被害を受けている。自分で長文を書いて、自分が甚大なダメージを受ける。とにかく、ブログのログが上手くコントロールが利かないまでの重みを持ち出した。この重さは、私にはどうにも出来ない程の力が加わっている。ブログ運営に疲れた。だから、成れるものならWeb2.0に成りたいと最近強く思っている。

私の言う「Web2.0」とは何か。私の印象を言葉でアウトプットしようとすると上手くいかない。ツボを押さえた専門用語を知らないので、途轍もない長い説明文になってしまう。ゆるくてきとーに、メモ程度に書いておこう。Web2.0は私の印象では、メタ情報を視覚的に楽しく、情報を配置するプログラムであるだろう。APIを公開しているWebサービスが多い。「API」も「APIを公開している企業」もよく説明できないし、知らないが、よく「API」という文字列を見かけるし、自由に使っていいらしいという記述もある。とにかく、未整理の情報を私が私のやり方でジャンル分けしたりする動的なページを公開することが可能なのだろうということを、印象として理解している。私が「Web2.0」に憧れている理由は、自動で更新されるコンテンツが私も欲しいということだと思う。憧れる前にプログラムが書けなければどうにもならない。という遠い道のりがある。プログラムが何を意味するのか全く私の脳内には刻まれていない。私の脳は空白だし、私の人生も空白だ。更なる未開拓地に何でも書きこめるぜ、ではなく、全てが真っ白の拒絶する絶対空間で、何やら既にびっしり白い文字が書きこんであるっぽい。

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