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近代社会の退化へ向けて心の準備をしましょう

日々を水洗トイレ的に横へ流して生きているわけだが、それすらも精神的に辛くなってきた。どうでもいいが、糞尿を垂れ流すにもコストがかかる。大便を一回するごとに幾ら幾ら、小便を一回するごとに幾ら、トイレを清潔に維持するコストが幾ら幾ら幾ら、などと。水洗ではなく、昔の汲み取り様式に屎尿処理方法を退化していく家庭も、今後あり得るのではなかろうか?などと最近は少しばかり妄想している。

近代社会に馴染めない人も多いのではなかろうか?かといって、現在型の近代社会は素晴らしく豊かな人類の知的資産の最終形態だ。近代化初期の頃は、ホームレスを精神病院に強制的にぶち込んだり、社会混乱や行政権力行使の過干渉が絶えなかったはずだ。現在は他人の領域を侵犯しないかぎり、自由になんでも自己表現できるような、出来ないような、あいまいな近代社会だ。棲み分けがかつての社会より、より行き届いている。

私はサブカルチャーが大嫌いだ。サブカルチャー的な嗜好や物言いに多大な嫌悪感がある。そこまで過剰に社会に対して、恨みを持っている訳ではないからだ。私はサブなカルチャーでなく、身分相応の文化愛好者だ。

とにかく努力するだけでは何の解決にもならず、身持ちをより崩す結果となるだけだ。私が努力をするとしたら、サブカルチャー的な方向での努力しか、もう努力する余地がない。そんな努力も、別の種類のどんな努力をしても、絶対に身分階級は上がらないのだ。過剰に何かを行おうとする限りは。

あいまいにより不鮮明に生命を明日へ繋いでいくしか生きる道が私にない。

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