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成長についての提言

とにかく、まだ自分の中で纏まっていない問題だから、試論として書き始めたい。

人間は成長したりしない。社会的に意見を聞かせる力が増したことが、錯覚されて成長に見えているだけにすぎない。

だが、人間は短期的には成長する。成長というより、モードが変わるその準備期間だったりするだけだ。その準備期間は成長と呼べるが、これは成長と呼ぶしかないが、先に主張した、「人間は成長したりしない」と相反する考え方ではない。内包する概念や世界観が、同じ言葉を使っているが別のものを指しているつもりだ。

モードが変わったイコール自分の殻を破って、内向的な自分から外交的な明るい自分へと生まれ変わった、というような自己啓発的言説に毒された思考方法には反対したい。

関連する話題として、一人の小説家について考えてみる。例えば、ある現役小説家の新作を、その現役小説家に対して何の前知識も無く、手にとって読み終わったとする。

確かにその小説家は、質が高い作品を書いているのは分かったが、いまいちその小説家の凄さがぴんとこない。そこで、処女作から順に読んでいくと、そのたまたま手に取った位置にある作品の意味がより深く分かることがある。小説家でなくても、ミュージシャンでみなさんも日常的に経験していることと思う。「いまいちこの人の現時点での実力と、世間的評価とのギャップを感じる」ということは、みなさんにもよくあることだと思う。

人は成長しないのだ。ピークを迎えたら、たいていは衰えていくものだ。世間や社会に純粋に自分の才能を問いたい気持ちで小説なり、音楽なりを作り始めて、その凝縮された思いは、職業という対価を前提とした社会システムとは別の世界で育まれた豊かな創作活動である。ほとんどは、2、3作品で育んだ思いを使い果たし、良い意味でも悪い意味でも、職業作家になってしまう。その後に、何度もピークを迎えたり、初めから職業作家としてデビューする者もいる。

私たちは、年齢は違えども、このようにいろいろな節目節目にいる。私たちは、小説家やポピュラー・ミュージックのソロやグループも、長く活動している人間をサンプルに、その「いろいろな節目節目」を事前に知ることができる。「いまいちこの人の現時点での実力と、世間的評価とのギャップを感じる」という人は、ブログ界隈でも身近にでもいるが、その先程例えた小説家やポピュラー・ミュージックの世界と同じことなのだ。私はその意味で、「人間は成長しない」と言い切っている。社会的影響力や社会的地位が物を言ったり、資金力が物を言ったり、現時点で一番現金を持っている、ということですら、物を言うことがある。話が逸れたが、評価というものは、常にたゆたっているものだ。評価というものは、順位や優劣のようなものだ。常にたゆたっている。ここで「たゆたっている」という言葉を繰り返して言い表したい内容は、ここに「私」が入る余地があるということだ。

そこに何らかの参加の余地があるということだ。具体的には、「いまいちこの人の現時点での実力と、世間的評価とのギャップを感じる」とブログに書くことが出来る、ということも含んでいる。そうもし書いたとして、反響を呼んで、自分の書いたエントリーが酷評され散々な目に遭うこともあるかもしれない。だが、「言い負かされる」というのは、私は必ずも悪い兆候には思えない。これは、私よりも若い人へ向けて書いている。若いということは素晴らしいことだと、私は思う。実力以上の集中力を生むことが多い。書いた物が当人が後で恥ずかしくなっても、「実力以上の集中力」の軌跡を私は評価したい。

始めの話に戻るが、私は人間的成長を阻害された感を根深いもの、早い話が「恨み」として持っている。始めにも書いたが、「人間は成長したりしない」。社会的経験を多く積んだり、モードが変わったりするだけだ。社会的経験を積んでも、まったくそれが役に立たない場所は多々存在する。人生を全否定される機会は誰にでもいつでも起こりうる。

とにかく、「成長」なんて差別用語を私は他人に向かって使いたくない。私たちは、日常を一歩一歩淡々と推し進めていくだけだ。私は、「成長」の代わりに「日常」という言葉を代替として用いたい。

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