ゴージャスな存在
ブログなんか書いても何にもならない、とは主張しないが、どんなに時間を掛けても、どんなに努力をしても、少なくとも私には何の得にならない。スパム・ブログを作って、自分の時間を同程度割いて、機械的に更新しても、それなりの見返りがあった。時間は同程度割いているにしても、「機械的なブログ・エントリー生産、ライン作業的な」と「全霊を傾けているにもかかわらず、検索エンジンに引っ掛かりにくい日記」では、私の負担が雲泥の差だ。
機械的で作業的で体力的な考え込む余地のない楽チン更新が「雲」で、デフォルト状態での精神的な負荷に加えて、どんなに全霊を注いでも否定される構図、私の全人格を完全否定されているかのような、が「泥」。とにかく、泥に返っていくだけの、泥遊びは止めよう。もっと、自動書記機械的な意味での生産的で作業的な「快楽的な」ブログ更新をしないと、精神的に疲れるし、それプラス、私のブログ自体が、道端に落ちているフンであるかのように「フン」てな感じで乾いた鼻で、出し惜しみするかのように少しだけ息を漏らして笑われる。そのようにして、私の全人格が完全否定されている。
派手な努力と地味な努力があると思う。もっと派手な努力を求めてもいいのではないか?他人にアピールしやすい努力。というよりも、他人を巻き込んでいくタイプの努力。そのネガティブ・バージョンで他人の精神性を少し引っ掻き、傷を与えるのもアリかもしれない。どちらにしろ、加害的な努力といっていい。必ずしも、「派手な努力」と「加害的な努力」はイコールではない。
私は常に「地味な努力」の側の人間なんで、派手な装いはできない。「派手な努力」は、前述したような、「加害的なもの」とは一線を画すものであるのは間違いない。単純に「ゴージャスな存在」であろうとする意思であり、それを持続させようとする意思に他ならない。
私も「ゴージャスな存在」な存在になりたいものだ。が、能力的に無理。全人格を否定されながら、地を這って、生きていくしかない。