時間がない。
疲れた。書いても書かなくても、少しも世界は変わらない。世界を変えようとブログを書いているわけではない。何の変化もないブログ運営なので、抑うつ状態にある。髪の毛の状態にも、気分を落ち込ませられる。髪の毛の先が、常時どこかの皮膚をつっついているからだ。髪の毛にイライラさせられ、気分が落ち込むのは、何も長さの問題ではないようである。短くとも、手を入れていない頭髪の状態と見た目と気分は、三者ともすっきりしないものである。
散歩をしたい。太陽光を浴び、手を振って息を弾ませ、リズミカルに片足ずつを前へ投げ出し、次の瞬間にはその片方の足の親指の付け根でアスファルトの弾力を踏みしめ、そして、また路面すれすれを低空飛行するツバメのように、爪先を歩みの先へと投げて飛ばす。
とにかく、文章を書いても何の意味もない。ただ、無為でいるより生産的であるし、私は受け取るばかりの受動的な人生だけはごめんだが、酒を飲みたいので、日払いのアルバイトを始めて、労働し対価を受け取り、体力的に疲れてコンビニでお酒を買い、家でテレビでも見る。そんな人生でいい。酒が飲みたい。ごぶさただ。抑うつ状態にある気分を変えたい。疲れてしようがない。文章が決らなくてしようがない。
ミスタイプ程度は修正したいのだが、どうしても文章を修正してしまい、修正してしまうと、文意が大幅に変わってしまうことに、また少し経って気づく。修正地獄だ。結局、手を入れたらバカを見た、という徒労で心が折れる。初めに書きつけた文章が絶対的に正しかった。悩めば悩むほどに、深みに嵌っていく。私の書いているものは、内面との対話のように見えて、内面との対話ではないのだ。内面の抽出と表現する方が、私の気持ちにしっくりくる。内面との対話ではないのだから、書かれた文章についてもっと深く掘り下げ、内面の暗雲に迷うような、エントリーを書いた後の作業はあまり、考えないようにしよう。本当に言葉に迷ってしまっている。
他のブロガーのアクセス数の十分の一もないな、と確認させられる機会が多い。それによって、意欲を挫かれる。無価値だ、無能力なんだ、と。しかし、それは口実に過ぎないが。とにかく、文章が書けない。私の計算上では、22ヶ月もブログを全力で24時間体制で接しているつもりなのに、まったく、要領が悪く、無駄な遠回りばかりしている。もっと要領よく、かつ、もっと果てしない方向へ遠回りをしよう!と意気込むも、気分が抑圧されていて、そのプレス機を圧し返せない。
時間がない。時間がない。と呪文のように繰り返し、口をついて出る。口いっぱいに溢れ出だした唾液のように、つい口から自然にこぼれる。時間がない。時間がない。と。繰り返し。呪文のように。唾液のように。
2004年の6月8日からこのブログは続けているが、それよりも無職期間は遥かに長い。時間がない。20年でも30年でもこのブログは続けるつもりだが、2年持つのか3年持つのか分からない。3年はこの状態では、まったく、完全に、完璧持たない。確実に持たない。絶対に持たない。時間がない。2年持たせるのが、やっとだろう。時間がない。しかし、20年でも30年でもこのブログは続く。そういった書き方をしている。他者に言及しないのも、どうせ最後には皆、いなくなると思っているからだ。しかし、私に残された時間は少ない。しかし、20年でも30年でも続くブログを目指している書き方。しかし、このブログも2周年がやっとだと思う。