スポイルされた人生
まったく日の光を浴びないのが健康に悪いのか、どれも右横が裂けたボロキレの上部にダルダルのゴムの輪を、腰骨に引っ掛けているような下着しかもっていないせいで、日常生活に嫌悪感があるし、何より動きづらい。下着の上に穿いている衣類のゴムも緩いので、すぐに全てが抜け落ちやすい。そんな日常。
なのだが、それは部屋で、外出着ように一年中穿く用のチノパンを3本程度持っているが、それを穿くと必然的にノーパンで暮らさなければならなくなる。ウエスト部にボロキレが緩いゴムで辛うじて穿ける状態にあるものを、突っ込む幅の余裕がない。それに、ノーパンで生活はできない。下着は穿いた方が、肌触りが心地がよい。
髪を毎月切って、まともな下着を買いたい。それすらも、無職なので収入的に出来はしない。もし、アルバイトを始めたとしても、たぶん買わないで生活することになるだろう。基本的な生活が壊れているのだ。もう、どうしようもない。過去にまともな生活はなかったんだし、家族の生活もイカレている。何の生活の基盤もない。辛うじて繋がっているにすぎない糸だ。
働くということはどういうことなのか?私も過剰にアルバイトした経験がある。何をモチベーションに働けばよいのかという結論にすぐに行き着くことになる。働くとある種暴力的な発想に陥る。はっきりとは言わなかったが、父親は「オレが食べ物を食べさせてやっている」という考え方だった。私が長年軽い拒食症に陥ったのは、この発言が原因であるとしか思えない。言わば、社会生活を放棄している、理想の社会を目指す思想実験的な家庭である。
「スポイルされて育った」と過去に書いたことがあるが、甘やかされて育ったのではなく、さまざまな罵倒を受けて育った。理想論を押し付けている形の罵倒だ。それは生活態度のありとあらゆる瑣末な事柄に対して異常に神経質な言動だ。あきらかに非社会的な規律を両親から24時間叩き込まれた。実質は、両親のどちらとも中間の子供なので、無視されて育ったので、感情転移として行き過ぎた干渉をしているのだ。
「スポイル」という言葉に対して、少し私と読者の間で共通の理解をしてもらいたい、と思い話し始めたのだが、話が逸れた。私が「スポイル」と発言している場合に、それは「甘やかし」と同義語だとは主張していない。「スポイラー・ワーニング」的な意味合いで使用している。即ち「ネタバレ」だ。人生という物語作品において、意気揚々と絶望的な「ネタバレ」を行い、他人の自立を阻害し、教祖として崇め立て奉らせようという悪質な洗脳行為だ。預言者だと明らかに自己紹介している。
「子供の頃勉強しなかったので、大人になって不利な立場に押し込められる」と主張しつつ、非社会的な自己満足的社会教育を強制されて生まれ育った。これは、自分に出来ないことを、他人に強制するソ連型共産主義的社会実験だと私は認識している。今私が、少なくとも食べ物に苦労しないのは、「東ドイツは豊かな福祉国家だった」というのと同義だ。使えない精神薄弱者として、動物のように飼われているだけだ。愛玩動物ではない。完全に思考停止し放置しているのだ。
子供と家庭を利用して、社会実験を行ってはいけない。両親が何らかの成功者だったら、生活態度から自ずと学ぶものが大きい。そんな両親の生活態度に触れて育ったあなたは、もう既に裕福な一生の安泰が約束された教育的資産家だ。私はその真逆の敗者。滅びていく側の人生だ。滅びて行くしかないのだ。このまま、私が大きな病気をしなければ、家族が大きな病気をしなければ、このまま留保された人生が揺りかごから墓場まで続く。もしも変動があれば、必ず揉めることになる。問題解決能力が著しく低い家庭なので、ちょっとしたミスで大きな修羅場に必ず発展する。
私は修羅場を待つタイプの「待ち組」である。