私は悲しい。
もうだめだ。怒りと絶望があるのみだ。
どこかで見たが、というかブログ界隈のどこででも見かける見慣れた話題だし、ブログ文化という新しい文化に限らず、ポストモダン文学(1980年代とか、たぶん)でさんざっぱら語りつくされている言説だから、「そんなのは常識だろ?」と鼻で笑うような印象を話題に上る度に毎回持っているし、それに加えて、「そんなことあるわけねぇだろ!」と罵倒しに掛かりたい意欲がある。
「私は悲しい」とブログで、このブログの作者である「私」は悲しんでないのだろうか?悲しいという感情と、書き言葉の格差で悩んだりしているのだろうか?極端に言えば、悲しんでもない気持ちで「悲しい」と直近の悲しかった出来事を思い返して、感傷に浸りながら「私は悲しい」と言わば「嘘」とでも言うべき、嘘をブログ日記についつい書きつけてしまうおちょこちょいなのだろうか?
断じて否。私には絶対的な怒りと絶望がある。例えば……、と例を挙げようとしたが、私の主張せんとするところが到底理解できない、何のバックグラウンドも持たない人間に、噛み砕いて食べ物を与えるような真似までしてまでも、説明することを拒否したい。これは絶対的な拒否だ。私はそこまでお人好しではないのだから。私の主張が理解されない向きには、理解されなくて構わないのだ。
このブログ作者である「私」が「悲しい」と呟けば、そこにか細く弱弱しい発言を聞き取るのではなく、深い悲しみを感じ取るべきだ!何の欺瞞も、書き言葉と感情の乖離も全く存在する隙のない、私の書き言葉である!未だ悲しみを知覚していない側の人間は、深い悲しみを知れ!未だ怒りを知覚していない側の人間は、深い怒りを知れ!