シンプルな生活
慢性的な頭痛が続くせいで、というのはよく分かっているが、人生に希望が持てない日が連続して続いている。だが、こういう時期は部屋を掃除するのに向いている。いらない紙類を大量にシュレダに掛けたり、袋を破らないように四角を切り取った小冊子を大量にゴミ袋に詰める作業が捗った。がまだ、人生に希望が持てない日が連続して続いている。現状から少しずつ生活を向上させるにも資金力が要るからだ。
だらしなく伸びた髪の毛にイライラさせられても、金銭的な余裕がない。自転車も壊れている。家の中にいようと近所を歩こうと聞こえ見よがしの近所の陰口に過剰な怒りを感じなくて済むように、早いところ転居したい。新しい生活をスタートするだけの精神的余裕がない。(できるだけ健康的な内容への)現状維持を心掛け、結局は不満が大きく積もるのを待つしかない。
あらゆる意味で生活をシンプルなものにしたい。手始めに、しばらくの期間は少しずつ要らない物を処分することに専念しよう。何年も物を購入してないので、捨てる物に対しての思い入れが薄れているから捨てる行為が楽に行く。
3D酔い的なデジタル酔いが激しい。慢性的な頭痛というより、慢性的なデジタル酔い。パソコンのモニタを離れて自然に触れたい。しかし、自然なんかどうでもいい。ブログという日記帳に日記を書けないのが辛い。
望むべくは、このブログが日記でなく、「日誌」であって欲しい。何らかの業務日誌、何らかの航海日誌であって欲しい。私は共同体へ向かって書いているからである。何らかの共同体に所属しているつもりで、かつ別の何らかの共同体へ向けてブログを綴っているつもりだ。
しかし、私に可能なのは日誌を綴ることのみだ。言葉によって不満を募らせ、言葉によって不満を精製し、言葉の闘いに備えなければならない。
とにかく限界を超えて、ひきこもらなければいけない。まだまだ引きこもり度が足りないのだ。この行為は現状維持ではなく、ひきこもりを一日一日積み重ねる行為だ。無駄に外界を想って、蓄積したせっかくの想いを雲散霧消させてもしようがないのだ。ひきこもりが外に出てもニートでしかない。
躁鬱病的に、鬱屈を溜め込んだその反動によるテンションを高めてピンポイント爆撃する以外にサバイバルできないのだ。「テンションを高めてピンポイント爆撃」が私たちの唯一のサバイバル技術なのだ。数打てば当たるでは効果が薄すぎるし、気が散りやすいからだ。