「語り得ぬもの」などない。
生きていく為の仕事を持っていないし、私のブログの一言一言が糞だし、現状維持では私の存在感には細塵一粒程も価値すら確認できない。確認できないのか認識不全なのか、そんなことはどちらでも大した問題にならない程無価値な糞ブログだ。一言一言一単語一単語、句点や読点すらも糞に塗れているブログなのだ。まったく意味が無いから一刻も早く辞めるべきブログでしかない。一ピクセル程の手の施しようの余地もなく糞だ。私の人生はこうも無意味だ。かくも糞だ。書かれるも糞ブログだ。
語り得ぬものなんかありはしない。こうも私のブログの過去ログのように雄弁に語ることが出来るし、こうも私のブログの過去ログのように雄弁に沈黙することが可能だ。私たち人類は不用意な発言をして、自分の立場が揺らぐのを防御するために、沈黙を用いるだけだ。このように沈黙すら雄弁な攻撃手法足りえる。一人の人間の内面にあっても、抑圧されるマイノリティな言説というものがしっかり存在しているし、まだ時期尚早、もしくはまだ語るには早い、思慮深く熟成させて外に披露しよう、などバランス感覚がある。私は、沈黙を強いられる存在の側だ。バランス感覚に潰されて行く、マイノリティの側の人間だ。まったく私の存在なんか無価値だ。まったく沈黙を強いられる側に位置する社会的地位なのだ。インターネット上にあっても同じなのだ。オフラインであってもまったく同じなのだ。これから先の私の人生で、一本の髪の毛の先程も社会的地位が向上することなんかありえないのだ。
「語り得ぬもの」と気軽に口にはするな。なぜなら、その結果、実質私が沈黙を強いられ、あなたが私の遺骸の上にそれとは知らずに立ち止まって「語り得ぬもの」と脳天気にも、もしくは小鳥のように語り歌う事態になるからだ。語り得ぬものがあるのなら、ならなぜその存在をあなたは知りえるのか?理解に苦しむ。