インターネット上で感じる皮膚感覚。
もう疲れた。話題がない。元気もない。物語もない。生気もない。生きる気力もない。ブログを書く気力もない。何もかも投げ出したい。
「生きる気力もない=死にたい」ではないし、「何もかも投げ出したい=何もかも破壊したい」でも断じてない。その辺の物をわし掴んで遠くに投げ捨てたい。「その辺の物をわし掴んで遠くに投げ捨てたい=投石したい」でもない。
人生は前に進まなくていい。過去にも進まない。私の人生なんかに人生なんかないからだ。何の人生経験もない。何の過去もない。
では私には何があるのか?何もない。何も持っていない。私にはブログがあるじゃないか?そんなものはない。ここは空き地なのだ。私が書かなければ、私が書き続けなければ、存在していない場所なのだ。誰も過去ログなんかにアクセスしないのだ。私にあるのは積み重ねで、過去ログという名の業績ではない。「http://blog.livedoor.jp/hikki_woods/」には確かに業績がある。しかし「http://hikikomori.in/」には業績がまだない。明らかにURI的にライブドアブログ・フリー版は検索エンジンに取り上げてもらいにくさが強い。しかし一年半以上続けたおかげで、更新しない今でもアクセス数が一定数ある。しかし「http://hikikomori.in/」は空き地でしかない。
このブログが証拠になる。私は何も持っていない。現実世界もネット上も変わりない世界が広がっている。私のネット上の受け入れられ方と、私の現実世界での受け入れられ方に、まったく差異が感じられない。まったく同じ皮膚感覚がする。「受け入れられ方」と表現すると受身的な語感の印象を他者に与えてしまうのだろうが、「受け入れられ方=私の立ち居振る舞い」の意味で私は使用している。言い直せば、私のネット上の私の立ち居振る舞いと、私の現実世界での私の立ち居振る舞いから返ってくる反応に対して、まったく差異が感じられない。まったく同じ皮膚感覚がする。
私は見たくない現実から視線を逸らしたり、逃げるつもりでインターネット活動をしているわけではない。その証拠に、どこに行っても同じ問題に行き詰るし、同じ空気感がする。
完璧に行き詰まった。身動きが取れない。