周期的に大量発生する虱ブロガーの存在について
頭痛が酷い。酷い頭痛がする。それに加え、腹を下している。頭痛が酷い。今日のこのエントリーでは思慮深い思考に向いていない。頭痛が酷い日が続くので、ブログ管理に向いていない。過去ログの記事の内容ではなく、表示のズレが気になる記事があるので修正したりしたいし、現在の月別アーカイブの表示も気に入らない点があるので細かい修正をしたい。検索エンジンに対して『hikikomori.in』のアピールもしたい。いろいろやりたいことが山積みだ。
15人にしか読まれないブログでは息が詰まる。しかも私について好意的な15人とは限らない。たまたまRSSブックマークに登録してしまったので、惰性で仕方なく読んでいるにすぎないブログなのだ。ブックマークという名の偶然の副産物もしくは、ニート差別主義者の敵対的アクセスにすぎないのだ。私の足を引っ張るような向きにしか読まれないブログなのだ。その15人に対して、虱潰しに一人一人潰しに掛かっていきたい。
私はこのブログを一年半以上書いてきたが、本音を書いたこともちらつかせたことも一ミリメートルほどもないと言い切れる。語彙を荒げている時に、本音が出ている!と思い込んでいるうぶな他人に対して考えを改めるように、このブログ上で小一時間説教をしたいくらいだ。ただ文体の実験をしているにすぎない。私のブログなんか、一年半以上続けているのに一人たりとも内容を思慮深く吟味された経験がない。私のブログは道端に落ちている有機的な糞にすぎない。その程度の扱いなのだ。
私は透明人間になりたい。少なくとも本音を語っているブログではないが、有機的な臭気を放っているブログではあるかもしれない。毎回全霊を傾けてエントリーしているからだ。私自身はどうでもいいのだ。エントリーに私の代わりに人生を歩んで欲しくて送り出すつもりで、ブログに毎日もしくは毎回臨んでいる。私は例えば無人島から、メッセージボトルを海に投げ入れているのだ。
私自身はどうでもいいのだ。私自身は滅びていって構わないのだ。メッセージボトルを掬ってもらえればいいのだ。こう表現すると受身の姿勢で他者を待ち望んでいる印象を持たれる、誤読の目に遭うかもしれないが違う。寡作ながらも運営時間的にはエントリーを大量に送り出したので、大勢の人が拾っているのは知っている。私から見ればあなたはその細塵な一粒にすぎない。
長文を書いていると、読んでやったとする唯一の理由から感想を押し付けてくる迷惑な連中が大量発生して辟易させれれる。この現象の目に遭うと、いつもこれを連想する。愛読書といって今まで読んだ数少ない本をすべてリストアップしたり、それと真逆の反応を示す表裏一体同一人物の連中を同時に連想する。長文を読まされるのが詐欺行為だと思い込んでいる連中が多すぎる。長文記事なんか、眼球を一定のスピードで横に動かせば直ぐに読み終わる類の瑣末な事柄にすぎない。どこに苦労があるというのだ?
私について感想を持ちたがる虱ブロガーを一匹一匹葬り去る丹念な作業を私は厭うつもりがない、どころかウエルカムだ。
私は私の人間性を売りにしたくない。私は文章を売っているのだ。誰も買ってはくれないが、空の瓶に手紙を詰め込み、コルクで栓をし、市場の荒海に投げ入れる。その行き着き先は、一つの商品として陳列されているのを理解して欲しい。買う気もない人間の手垢が商品に着くのを小売商の私は酷く嫌がる。一度手に取ったら中古になるのだからその商品は買うべきだ、と企画製造販売元の私は考える。
被害妄想であろうが、どちらにしろ常に自衛には努めなければならない。というエントリー。